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岡田彰布コラム

岡田彰布コラム「背番号は選手にとっては顔。初めて背負った番号をいかに価値のあるものにするか。それが背番号物語になるんよ」

 

入団時に背番号を提示され、オレは迷わず「16」にした。いまではそれでよかったと思っているよ/写真=BBM


「16」を選んだ理由は三宅秀史さんの番号だから


 キャンプ直前、いよいよ始まる。さあ、スタートや。自然と心が高まる。毎年、毎シーズン、同じことの繰り返しやけど、気持ちは切り替わっている。さあ、みんな、ケガなく充実の1カ月を過ごしてほしい。

 まあ、実際にキャンプインしてからでないと多くは語れない。ということで週べの今週の特集が「背番号」らしいわ。背番号は選手にとって“顔”といわれるが、ホンマ、そのとおり。◎番といえば、○○選手。これが定着すれば、ホンマの顔になったということよね。

 野球、野球で過ごした幼いころ。オレが初めてユニフォームを作ってもらい、着けた番号は「11」やったわ。小学校のとき、友だちのほとんどが「1」か「3」やった。「1」は王(王貞治)さん、「3」は長嶋(長嶋茂雄)さん。巨人ファンはみんなこれやった。でもオレは阪神命。オヤジ(父親)の影響でたたき込まれた。だから背番号は村山実さんの「11」。オヤジの作った草野球チームで、大人に混じって、11番を着けた岡田少年はボールを追いかけていた……というわけやね。

 リトルリーグ時代は「5」番で、北陽高時代は投手だったから、エース番号の「1」。そして早大に進んで、1年生のデビュー戦は「25」やった。そこから2年、3年と「3」に変わり、4年生のときは主将になり、キャプテン番号である「10」を着けた。

 ここからはプロになってからの話で、ドラフト1位で阪神に入団したとき、さあ、背番号はどうする? となった。当時、球団から提示されたのは実は・・・

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岡田彰布のそらそうよ

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選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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