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岡田彰布コラム

岡田彰布コラム「この状況だと今年は特例で日本シリーズのみはどやろ?選手は最高のパフォーマンスでファンにプレーを届けてほしい」

 

2011年4月29日、楽天のこの年、仙台開催での初試合の相手がオレの率いるオリックスやった。嶋[嶋基宏]のスピーチで球場は一体に。野球の力を感じた。さて今回はどうなるのか……/写真=BBM


2度の震災に見舞われても、乗り越えてきたプロ野球


 長い間、プロ野球に携わってきて「これは野球ができないのでは……」と感じたことが2度あった。

 1度目は1995年。1月に起きた阪神淡路大地震である。オレは阪神からオリックスに移籍して2年目で、年齢的にも現役の終わりを迎えようとしていた。震災前日、四国で会合があった。早稲田大野球部のOB会で、ゴルフに興じていた。その翌日の明け方だ。とんでもない大地震が起きた。

 テレビで情報を確認する。女房に連絡を入れる。幸い、たいした被害はなかったようだが、その後、神戸の街を中心に、被害の大きさはどんどん広がっていった。甲子園球場はカベにヒビが入り、鳴尾浜のグラウンドは液状化現象に……。オリックスの本拠地はどうなのか。不安で、ホンマ、心休まることはなかった。

 被害にあわれた方の数がどんどん増え、そんな状況下で「野球は……」と語れるはずもなかった。どうなるのか。これで開幕を迎えられるのか。こんなことばかりが頭をよぎる。しかし、神戸の街も、大阪も、関西も、よみがえる。みんな負けなかった。地獄からの生還というか、みんなが前を向き、進み出していた。

 オリックスとして、どうあるべきか、球団としては大いに悩み、苦しんだと思う。しかし2月、チームはキャンプ地にいたし、開幕に向け「がんばろう神戸(KOBE)」の心をみんなが背負っていた。

 そこからのことは、皆さんはご存じでしょう。奇跡的なリーグ優勝を果たすことができた。人間の底知れぬ力をあらためて感じた。オレは、そんな奇跡の瞬間に立ち合い、そしてユニフォームを脱いだ。

 そこから16年後。2度目のことが起きる。2011年3月11日、東日本大震災であった。オレはそのシーズン、オリックス監督で2年目を迎えていた。当時、兵庫・明石でのオープン戦をやっていた。その試合の確か7回に差し掛かったとき、やと記憶している。ベンチでマネジャーから報告を受けた。東北を中心に、震災被害が拡大……、津波、そして原発事故。プロ野球でいえば、開幕直前だ。一瞬、16年前のことが思い出され、今回ばかりは……と最悪の事態が頭に浮かんだ。

 当然のように開幕は延期された。何もかもが、やむを得ない状況だった。それでも開幕にこぎつけた。プロ野球の存在の意義を、深く考えさせられるときが続いた。仙台で楽天が本拠地初戦を行った。相手となったのがオリックス。空路・仙台に入り、バスで市街地に向かったが、その途中に見た光景は、今も焼き付いている。自動車が何台も重なり、がれきの山が……。そんな中、野球は行われた。

 ファンの熱い声が届く。しばし現状を忘れ、声を枯らして応援したい……。報いるのは、ひたむきにプレーすること。誰もがそう思ったに違いない。こうして2度の大きな試練を乗り越えたのだ。でも、まさか9年後に3度目の苦難が襲ってくるとは・・・

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岡田彰布のそらそうよ

岡田彰布のそらそうよ

選手・監督してプロ野球で大きな輝きを放った岡田彰布の連載コラム。岡田節がプロ野球界に炸裂。

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