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王貞治 一本足打法

「投手の美学」を捨てさせられても「一本足の美学」だけは絶対に手放さなかった

 

プロ野球選手なら必ず持つべきものがある。それは、「自分とは何か」という問いである。その問いをとことん問い詰めた者は、プロ野球の歴史に何物かを残す。それは「美学」と表現してもいいだろう。自分をとことん追求する姿は、常に美しいからだ。そういう男たちの肖像を描いてみたい。
文=大内隆雄、写真=BBM

77年9月3日、ヤクルト戦[後楽園]で世界記録となる756号本塁打を放ち、場内を1周する王


 今週の2枚の写真は「世界の王」の巨人でのスタートと、その頂点を示している。

 巨人か、阪神か──。家族会議まで開いて悩み抜いたプロの選択。兄・鉄城の「東京の子なら巨人へ」のひと言に救われて巨人入りした王少年。下のモノクロ写真は、巨人のユニフォーム姿の最も早いものである。1958年9月の多摩川グラウンド。巨人入りが決まった王は、とりあえずプロの感触を味わうべく、多摩川の千葉茂二軍監督の下へ送られた。もう当時から、「投手か、打者か」と騒がれていた。いまの日本ハム大谷翔平のような立場だった。大谷はどちらもやりたい。だが、王は、投手に強いこだわりを持っていた。

「そりゃあ、投手をやったことのある者なら、やっぱりこだわりますよ。そういうポジションなのです」と王はのちに語ったが、そのこだわりに、あっさり「投手失格や」と引導を渡したのが千葉だった。

 王は、多摩川でフリー打撃を行ったが、千葉は腰を抜かした・・・

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プロフェッショナルの肖像

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プロ野球選手の美学にスポットを当てた連載企画。自分をとことん追求した選手たちの姿を紹介。

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