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時代を象徴したスター・真弓明信

 

時代を象徴する“ジョー”という名を身にまとった特別な男。獅子が虎になってもスターであり続けた
文=大内隆雄、写真=BBM

80年のテンピ・キャンプでこちらも獅子から虎となった中西太コーチ[のち監督]=右=にマンツーマンでコーチを受ける



 日本のプロ野球史上、“ジョー”と呼ばれた男が3人いる。年齢順に城之内邦雄(巨人ほか)、真弓明信(阪神ほか)、城島健司(ダイエーほか)である。

 このなかで一番親しまれて、長持ちした“ジョー”は、実働23年の真弓だった。城之内と城島は「城」の読みから、自然に“ジョー”となったのだろうが、真弓の場合は姓名からでは、想像がつかない。なぜ“ジョー”になったのか?

 真弓本人は、以前、こんな説明をしている。

「(太平洋クラブ)ライオンズ入団1年目(73年)のオフ、球団が所有しているアメリカのマイナー・チーム、ローダイ・ライオンズの教育リーグに参加したのですが、試合で僕の名をアナウンスすると、マユミってうまく発音できないんです。それで、ライオンズの球団関係者の方が“ジョー”にしちゃった。向こうはジョージとかジョーンズというのは一般的でしょうから、そこで思いついたんじゃないですか」

 楽天大久保博元監督が、西武時代、マイナーのサンノゼ・ビーズに留学した際、オオクボは発音しにくいから、「オレはデブだからデーブにしてくれ」と言った話と何だか似ている。“デーブ”はご本人の命名だが、“ジョー”は他人の命名。筆者は、その球団関係者の心の中を想像してみるとちばてつや画えがくところの『あしたのジョー』に突き当たった。昭和40年代の超人気ボクシング漫画だ。68年(昭和43年)に「少年マガジン」に連載が始まったのだが、大学生を中心に爆発的な人気を呼んだものだ(あのころ、平均的な男子大学生を表現するのに「手にはジャーナル、心にマガジン」というのがあった。ジャーナルとは「朝日ジャーナル」、マガジンはもちろん「少年マガジン」。インテリ向け高級週刊誌を見栄で買っているが、本当はマガジンを死ぬほど愛している、というワケだ。『あしたのジョー』は、そういう大学生たちのシンボル、アイドルだった)。

 だから、球団関係者も、スッとこの“ジョー”が浮かんだのだろう。

 真弓は、プロ野球選手として超一流の成績を残したが・・・

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