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「進」と「行」を発動させる男・高田繁

 

新しい環境に出て行くたびに「進」と「行」を発動させ成功した男。監督ではやや苦戦したが、GMでは大成功!
文=大内隆雄、写真=BBM

76年、外野から三塁へコンバートされたが、初めて打率3割をマーク、ゴールデングラブも受賞。見事に適応した



 大昔、新聞社の校閲にいたとき、ゲラ刷りの「出所進退」という誤植を見つけ、大笑いしてしまった。しかし、これはあまりにデキ過ぎの誤植ではないか!次には「ウ〜ン」と唸ってしまったのである。

 もちろん、「出処進退」が正しいのだが、刑務所から出てきたはいいが、ハテサテ、これからどうすればいいのか。刑務所でなくても、閉ざされた世界から外に出るときは、人間は常に、この進退に悩むのではないだろうか。筆者は、これはウィットに富む文選工(鉛活字を拾う人)のいたずらじゃないのか、とさえ思ったほどだった。「出処進退」は「行蔵」(こうぞうです。ぎょうぞうではありません)の説明として出てきたのだが、「行蔵」を手元の広辞苑で調べると「世に出て道を行うことと隠遁して世に出ないこと。出処進退」とあった。今回の高田繁は、出処進退、行蔵の判断の際に、実に見事なステップを踏んで(五郎丸や山田並み!?)、必ず「進」と「行」を成功させてきた。こういう野球人もそうはいない。

 浪商高から明大に入学すると、そこは、広く言えば東京六大学野球(たいして広くもないが……)、狭く言えば明大野球部という閉じた世界で4年間を過ごすことになる。そこで六大学記録となる127安打を放つのだが、ここで閉じた世界から外の世界へ押し出されることになる。

 67年秋のドラフト。高田はラッキーにも巨人の1位指名を受ける。当時は、1位指名はクジで指名の順番を決めることになっていた。巨人は7番クジ。高田ほどの選手が残っているだろうか……。しかし、残っていた。神宮で戦ったライバルたちは、高田より先に指名されたが、いずれも入団拒否。イの一番に指名された藤原真(慶大。南海指名)、4番クジの三輪田勝利(早大。近鉄指名)だ。高田の「進」と「行」は、ここでグ〜ンと他を引き離した。

 さて、68年の巨人・宮崎キャンプ。何をやらせてもソツなくこなす高田に、首脳陣もナインも目を見張った・・・

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