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「引退」はまだ先、中日・和田にレジェンドからエール

 

文=斎藤寿子 写真=BBM

19日には43歳になる和田一浩。その打撃職人ぶりはまだまだチームに欠かせない存在だ



よく粘った2000本安打


 11日、和田一浩(中日)が交流戦での千葉ロッテ戦で2000本安打を達成した。42歳11カ月での到達は、プロ野球の最年長記録であり、それだけ本人にとっても家族にとっても、感慨深いものがあったに違いない。

 和田は1997年に神戸製鋼からドラフト4位で西武に入団した。今ではすっかり外野手としてのイメージが定着しているが、彼は捕手として入団し、2001年の開幕戦では当時西武の若きエース松坂大輔(現福岡ソフトバンク)とバッテリーを組んだこともある。

 しかし、当時西武には伊東勤(現千葉ロッテ監督)という名捕手が存在し、なかなか正捕手の座をつかむことができずにいた。打撃をいかすため、徐々に野手としての出場機会が増えていき、ついに野手へ完全転向したのはプロ6年目の2002年のことだった。

 捕手としては挫折を味わいながら、コンバートによって“第2のプロ野球人生”を成功させた代表例と言えば、連続試合出場の元世界記録保持者である衣笠祥雄氏である。衣笠氏は和田の2000本安打について、こんなふうに語っている。

「おめでとうのひと言ですよね。よく粘ったなぁという印象です。ここに来るまで、いろいろとあったでしょうからね。いい時も悪い時も……すべてが詰まった2000本ですよね」

 和田が打撃不振に陥ったのは、4年前の2011年だ。まさに“天から地に落ちた”ようなシーズンだったことだろう。09年、初めて全試合に出場し、打率.302、87打点、29本塁打と好成績を残した和田は、翌10年はさらに好調だった。2年連続で全試合に出場し、打率.339、93打点、37本塁打と前年を上回る成績でリーグ優勝に大きく貢献した。

 プレーオフでも和田の活躍は目覚ましかった。巨人とのクライマックスシリーズ・ファイナルステージではシリーズMVPを獲得。ロッテとの日本シリーズでは全7試合で29打数12安打6打点1本塁打と猛打を見せ、敢闘選手賞を受賞した。初のセ・リーグMVP、6度目のベストナインにも選出されている。

 ところが翌11年、極度のスランプに陥った。08年に中日に移籍して以来、初めて二軍行きを命じられたほどの成績不振だった。結局、外野手に転向した02年以降、最低の打率(.232)に終わったのだ。

 衣笠氏はこの時の不振の原因のひとつは、“飛ばないボール”と言われた統一球の導入にあったと語る。

「あのシーズンは本当に苦労していましたね。和田と同じように引きつけて打つバッターはみんな苦しんでいたんです。統一球は、ポイントを前にするバッターの方が楽に飛ばせますから。本人にとっても予想以上に調整に時間を要したのではないでしょうか」

 しかし、和田はこの年、福岡ソフトバンクとの日本シリーズでは優秀選手賞に選出されている。チームの打線が低迷し続ける中、全9得点中、3得点が和田のバットからたたき出され、決勝点となっている。チームが苦しい時こそ、存在感を示すのが和田なのだ。

 最後に衣笠氏は和田にこんなメッセージを送っている。

「2000本で終わって欲しくないなと思いますね。中日にとっては、まだまだなくてはならない選手。2100本、2200本と、身近な目標をたてながら、さらに活躍してほしいと思います。それだけの選手ですからね」

 和田は2000本を達成した翌日の東北楽天戦で、4打数3安打の猛打賞を見せている。彼は既に次のスタートを切っているのだ。19日には43歳の誕生日を迎える和田だが、彼に「引退」の2文字はまだまだ似合わない。
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