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則本昂大を大人の投手へ変えた柳田悠岐との対戦

8日の韓国戦では自己最速の157キロをマーク。侍ジャパンでも存在感を見せている

 

真っすぐ中心から真っすぐを活かす投球へ


 8日に開幕した「世界野球プレミア12」。小久保裕紀監督率いる日本代表は、初戦の韓国戦を5−1と快勝し、白星スタートを切った。初回から160キロ台の剛速球で韓国打線をねじ伏せた大谷翔平(北海道日本ハム)のピッチングは圧巻だった。そんな大谷に触発されたのか、7回から継投し、1人目のイ・デホ(福岡ソフトバンク)に対して自己最速の157キロのストレートで空振り三振に切ってとって会場を沸かせたのが則本昂大(東北楽天)だ。

 則本と言えば、やはり腕の振りの良さだろう。八幡商(滋賀)時代の池川準人監督によれば、投げっぷりのいい今のスタイルは、当時から全く変わっていないという。

「初めて彼のピッチングを見たのは高校に入学してからですが、まず最初に『腕がよく振れているなぁ』と思いました。コントロールも良かったですし、1年生にしてはキレのあるいいストレートを投げていましたね」

 とはいえ、特に際立ったピッチャーではなかったという。則本が1年時の夏、八幡商は甲子園に出場している。しかし、則本は登板どころかベンチにも入ることができなかった。

「県予選までは則本はベンチ入りをしていたんです。でも、背番号は19……いや20だったかな。いずれにせよ、甲子園では18人ですから、則本はベンチから外れざるを得なかった。当時は上級生に3人の好投手がいましたから、則本は4番手で県予選でも登板はなかったですね」

 3年時にはエースとしてチームを牽引したが、球速は最速で140キロくらい。常時130キロ台前半で、体もどちらかというと華奢だったという。当時は正直、プロで活躍できるような器ではなかった。

 池川監督が則本に将来性を感じたのは、大学入学後だった。

「1年か2年のオフに、則本が高校のグラウンドに来て練習したことがあったんです。ブルペンで投げているのを見て『こりゃ、すごい』と。立ち投げだというのに、150キロのボールを投げていたんです。唸りを上げるような球威のある、それでいて力感がなくキレのあるボールでした」

 一方、三重中京大(2013年に廃校)時代に則本を指導した中村好治監督(現・三重高校監督)が則本に成長を感じたのは、2年春のことだ。全日本大学野球選手権の初戦、広島経済大戦で8回から4番手として継投した則本は、延長10回、現在ソフトバンクで活躍する柳田悠岐にストレートをセンター前に運ばれた。これがサヨナラタイムリーとなり、三重中京大は初戦で姿を消した。

 中村監督は語る。

「当時、則本はほとんど真っすぐだけで勝負していました。変化球も投げていましたが、ある程度のレベルにくるとかわす程度で、勝負球にはならなかったんです。以前から『真っすぐだけではダメだぞ』とは言っていたのですが、150キロのスピードボールを投げられるようなピッチャーというのはどうしてもスピードにこだわってしまうもの。でも、選手権で柳田君に打たれた後、変化球を重要視して、真っすぐを活かすためのピッチングを考えられるようになりましたね」

 現在のキレのある変化球は、柳田に打たれた一打をきっかけに、築かれたものだったのだ。

 さて、マウンド上での則本はその表情からも負けん気の強さがうかがい知れる。大学時代は「打たれたら、同じボールで勝負していた」ほとだ。

 一方で、誰よりも研究熱心で学習能力が高い。常に進化を求めて試行錯誤している。決して現状に満足することはない。だからこそ、新人の年から3年連続で2ケタ勝利を挙げ、新人王、2年連続最多奪三振と、活躍し続けられているのだろう。

 野球を離れた則本は意外にも「控えめ」なのだという。

「普段はおおらかで、穏やかな性格。(高校時代は)授業も真面目に受けていた」と池川監督。中村監督も「ユニフォームを着ていないと、どこにいるかわからないくらい目立たなかった」と語る。しかし、ユニフォームを着ると「勝負師」としてのスイッチが入り、攻撃的になるのだという。そんなギャップもまた、則本の魅力のひとつだ。

「プレミア世界12」は11日、1次ラウンド第2戦のメキシコに6−5と接戦を制し、連勝した。しかし、世界一への道はここからが本番であろう。ドミニカ共和国、米国と強豪が待ち受けている。世界のパワーバッターから三振を奪う則本の姿が見られることを期待したい。

文=斎藤寿子 写真=BBM
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