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裏方物語 チームを支える仕事人

中日 通訳兼国際渉外担当・桂川昇 助っ人たちに寄り添って 「言葉以上に大切なのは信頼関係。彼らの“そばにいること”が仕事です」

 

チームの主役であるのは選手たちだが、その後ろには大勢の球団スタッフが存在する。今号から新しく始まる「裏方物語」では、そのスタッフにスポットを当てる。第1回は通訳として今季で20年目を迎える中日の桂川昇氏。助っ人たちの良き相談相手だ。
取材・文=牧野正 写真=桜井ひとし、榎本郁也


派遣先はニカラグア


 野球が大好きだった。小さいころの夢はプロ野球選手。甲子園出場を夢見て地元の名門・県岐阜商高に進学したものの、レギュラーをつかむことはできなかった。中京大では準硬式野球部に入って野球は続けたが、将来については漠然とした思いのまま。地元の企業に就職するも、何かに挑戦したいという気持ちがくすぶっていた。

 野球との出合いは小学2年生。誕生日に父親がグラブを買ってきてくれたのがきっかけです。3年生になって少年野球チームに入り、出身は岐阜ですから中日を応援していました。自分は右打ちなのに、左打ちの谷沢健一さんのフォームを真似たりして。中学では遊撃を守って主将も務めました。高校に行ったら甲子園に出場してプロになれると信じて疑わなかった。それで地元の県岐阜商高に進学したのですが、そこで鼻をへし折られました。1学年に50人くらいでレベルも高い。レギュラーどころか、一度だけ元気があるということでユニフォームを着させてもらった程度です。スタンドで応援するほうでしたが、3年生のときに甲子園練習に参加させてもらって、そのときにこっそりと甲子園の土をポケットに入れたことが思い出です。

 大学に入ると野球以外のことに目が向いていきました。バイクで北海道を横断したり、永平寺で座禅の修行をしたり、スキー雑誌の海外レポーターの募集に当選してスイスに行ったりと本当に多くのことを経験しました。卒業後は地元の企業に就職しましたが、何か物足りないというか、もう一度何かに挑戦したい気持ちがずっとあって、そんなときに青年海外協力隊のポスターが目に飛び込んできたんです。そこに載っている子どもたちの眼を見ているうちに自分も何かしたい、できることはないかと申し込みました。それで野球隊員として野球を教えられる国が希望ということで連絡を待っていたら・・・

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舞台裏の仕事人

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