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裏方物語 チームを支える仕事人

DeNA チームサポーターBC兼一軍用具担当・深沢季生 何事もなく、スムーズに「スムーズに練習、試合の準備が進むことを心掛けています」

 

プロ野球の球団には数多くのスタッフが携わっている。その中で、練習や試合で使う道具を扱うのが用具担当だ。準備、片付け、遠征など仕事量は少なくない。DeNAで今季から一軍用具担当となった深沢さんは、ブルペン捕手との兼任でチーム支えている。
取材・文=滝川和臣 写真=YDB


卒業後、捕手に転向


 高校、大学ではエースを務めながら、卒業後は捕手に転向し独立リーグで日本一を経験した。現役引退後は指導者として後進の指導にあたっていた深沢季生さんは、思わぬ形でNPB入りの夢を叶える。ブルペン捕手としてベイスターズに入団すると、裏方一筋でチームをサポートする。

 私は横浜出身ですが、幼いころはジャイアンツファンでした。でも、プロ野球の観戦で横浜スタジアムにはしょっちゅう来ていましたし、「友の会」(ベイスターズのファンクラブ)にも入っていました。当時はレフトスタンドから声援を送っていましたね。藤嶺藤沢高、専大では投手を務め、高校3年の夏(2001年)は元ベイスターズの内藤雄太(八戸大を経て06年大学・社会人ドラフト3巡目で入団)が主軸にいた横浜商工高に敗れました。専大では東都リーグ二部が長かったですが、2年春に二部で優勝して1季だけ一部に昇格しています。当時はプロには行けるものだと思って神宮のマウンドで投げていました。今、振り返ると考えが甘かったですね(苦笑)。というのも大学4年でイップスになってしまって、そこからはまったくダメ。ボールを触りたくないような状態にまでなってしまい、プロ志望届を出すどころではなかったですね。

 卒業後は江藤省三さん(元中日ほか)が発足させたクラブチーム、神奈川BBトリニティーズ(現横浜ベイブルース)に入団しました。投手としては使い物になりませんでしたが、ちょうどチームは捕手が不足しており、打撃に自信がありましたから捕手転向を決意しました。捕手の経験はありませんでした。それでも草野球など遊びでプレーする中でマスクをかぶったりして、すごく楽しくやれていたんです。何より肩には自信がありましたから。

 その後・・・

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