ピッチャーの細かな要望に応えながら、気持ちよく準備を整えるサポートをする。ユニフォームを脱いでからも、地元の球団で野球に携われる喜びと感謝を胸に、今日もボールを受ける日々。そこには「ブルペン捕手」としての矜持がある。 取材・構成=杉浦多夢 写真=BBM、球団提供 「地元」の球団
プロ野球選手としての8年間は、思うようにならないことも多かった。だが、今も地元の球団で、最高峰の舞台で野球に携われていることに喜びを感じている。大谷翔平が入団してきた2013年から、ブルペン捕手として新たな野球人生がスタートした。 ちょうど僕がプロの世界に飛び込んだ2004年シーズンから、球団が北海道に移転してきました。通っていた札幌第一高は札幌ドームから一番近い学校だったのですごくなじみがありましたし、ドラフトで「地元」のチームに入れるというのはすごくうれしかったですね。
8年間を過ごし、一軍で初ヒットを打つことができたのは思い出ですが、ほとんどがファーム暮らしでした。トライアウトを受けてもどの球団からも声が掛からず、それでもどうしても選手としてあきらめることができず社会人のクラブチームで1年間やって、ようやく選手としてはあきらめようかなと思い始めていたところに、ファームのブルペン捕手兼用具担当として戻ってこないかというお話をいただきました。立場は違いますが、また野球界のトップレベルの中で、ましてやお世話になった地元の球団で仕事ができるのはうれしかったです。
僕が球団に戻った13年というのは大谷翔平(現エンゼルス)が入団してきた年でもあります。関わりがあったのは春季キャンプの途中で一軍に合流するまでの短い時間でしたが、当時からすごいボールを投げていました。でも、今思えば、やはり翔平はそこから劇的に成長していったと思います。すごいスピードボールでしたが、変化球を含めた精度は「18歳にしてはすごい」という感覚でしたから。
僕が現役のころは
ダルビッシュ有(現パドレス)もファイターズにいました。ダルビッシュと大谷に共通して言えるのは、目の前の試合だけではなく・・・
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