
入団した新人時代の清原の写真です。当時から体が出来上がっていましたし、メニューも完ぺきにこなしていました。やはりモノが違いましたね[写真=BBM]
高校3年生の夏、知り合いの多かった取手二高が茨城県代表として甲子園に出場。テレビで応援していましたが、あれよあれよ、という間に決勝まで進出しました。相手は1年前に1年生コンビで活躍したKK(
桑田真澄と
清原和博)がいるPL学園高でした。
下馬評ではPL学園高のほうが有利でしたが、結果は取手二高が8対4で勝利し全国制覇を成し遂げました。そのオフに私は
西武にドラフト1位で入団。捕手登録でしたが、将来的には一塁手として育てるというプランがあったようです。入団してから三塁の守備に入り、毎日猛ノックを受ける日々でした。
その一塁手になる構想が1年のみで飛びました。なぜ? そう、翌年にあのPL学園高の清原が・・・
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