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プロ野球回顧録

「WBCでフォークが通用することが証明された」はウソ?

 

シールズキャンプに参加した右から小鶴誠杉下茂、1人おいて藤村富美男、1人おいて川上哲治



 3月31日、東京ドームでの開幕戦。巨人中日戦に杉下茂さんが来ていた。もはや説明不要のレジェンド。日本球界におけるフォークボールの元祖と言われ、1954年には32勝を挙げ、中日を初の日本一に導いた方だ。御年91歳、182センチで背筋がピンと伸びている。大げさではなく、見た目も話し方も70歳前後にしか思えない。

 今回のWBCで千賀滉大ソフトバンク)、平野佳寿オリックス)らの好投で「日本投手のタテの変化、特にフォークボールがメジャーでも通用することが証明された」という表現の記事があったが、違和感を覚えた方も多かったと思う。

 正しくは「証明された」ではなく「再確認された」だけではないか、と。

 95年に海を渡り、ドジャーズでトルネード旋風を起こした野茂英雄、00年にマリナーズに移籍し、メジャー4年間で129セーブを挙げた大魔神・佐々木主浩、2006年第1回WBC、最大のヤマ場となった準決勝の韓国戦で好投し、いまもメジャーで活躍する上原浩治(当時巨人。現カブス)……。

 彼らが世界の超一流バッターたちを封じ込めた最大の要因は、メジャーでは一般的ではないフォークボールを武器にしていることだった。

 もちろん、フォークボールは球の変化だけの問題ではなく、伸びのあるフォーシームをしっかりと制球でき、かつストレートと同じフォームで投げられるかが重要な変化球だ。野茂、佐々木、上原とも、それができる高い技術を持っていた。

 しかも、であるが実際、それ以前の60年代、70年代にも日米野球で横の変化には手が届くメジャーのバッターにタテ変化のフォークボールが有効であることは何度となく「証明されてきた」。さらに、さら〜にさかのぼって言えば、それを最初に証明したのが、66年前の杉下さんだったのだ。

 2リーグ制2年目の51年シーズンを前に、杉下さんは巨人・川上哲治、阪神・藤村富美男、松竹(現在は消滅)・小鶴誠という当時のスーパースターとともに、サンフランシスコ・シールズのキャンプに参加。終戦後の時期の日本では渡米自体が珍しかった。

 そこで杉下さんは明大時代の技術顧問で、中日時代(53年までは名古屋)の監督、天知俊一に握りだけは教えてもらい、あとは自らで工夫し、編み出したフォークボールをフリー打撃で投げてみた。するとアメリカ人の大男たちが、クルクルと面白いように空振り。シールズのオドール監督があわてて「打者の練習にならないから投げるな」と言ってきたという。杉下さんはオープン戦にも登板し、そこでも数球投げたが、途中からサインがまったく出なくなった。打たれたわけではない。キャッチャーが捕れなかったからだ。

 中日とシールズ関係者の間では、杉下さんをしばらくアメリカに残すというプランもあった。もしかしたら日本人メジャー第1号は、杉下さんだったのかもしれない。

写真=BBM
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