プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は5月29日だ。
いよいよ交流戦が始まるが、楽しみの1つがパ・リーグの投手のバッティング。ふだんはDHがあって見ることができないが、もともと高校時代までは「エースで四番」の選手も少なくない。ひそかに楽しみにしている選手も多いようだ。
1991年5月29日はDH採用以降のパ・リーグで、初めて投手がホームランを打った日だ。
日生球場での近鉄─オリックス戦。オリックスは9回表に3点を取り、5対3とすると、その裏、先発で好投していた新人・
長谷川滋利から抑えのシュルジーに代え、万全を期した。9回表に一塁に
ブーマー、DHの
石嶺和彦に代走を出していたので、その裏の守備は、DHの石嶺の代走・
飯塚富司が一塁に入り、シュルジーは打順六番に。むろん、彼のバッティングを評価したわけではない。
しかし、シュルジーが2点を取られ、同点。長谷川の勝ちは消えた。シュルジーは以後も続投。10回両軍無得点で、迎えた11回表だった。簡単に二死を取られたこともあり、オリックスはシュルジーをそのまま打席に送ったのだが、近鉄・
赤堀元之の初球をとらえると、左中間の照明塔の支柱に一直線。推定120メートル弾だ。
シュルジーはその裏を抑え、勝利投手となったが、「長谷川に申し訳ないことをした」と試合後は反省しきり。なお、DH後に投手が打席に入ったのは20人目だったが、そのうち代打ではなく、投手として打席に入ってのヒットも、これが初めてだった。
結果的にシュルジーは以後、日本球界で打席に立つことはなく、1打席1本塁打と
塩瀬盛道(50年東急)以来2人の記録も作っている。
写真=BBM