記録達成シーン。すでに36歳になっていた川上だが、同年リーグ最多160安打、リーグ2位の打率.327
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は5月31日だ。
中日・
荒木雅博、
巨人・
阿部慎之助、
ソフトバンク・
内川聖一ら、さらには海の向こうで
青木宣親(アストロズ)が日米通算ながら、いずれも通算2000安打に近づいている。
選手寿命が延び、1シーズンの試合数が増えたいまでは、毎年のように達成者が生まれている2000安打だが、日本球界で最初に達成したときは、さすがに大騒ぎとなった。
第1号は、「打撃の神様」と呼ばれた巨人・
川上哲治。そして記録達成が1956年5月31日の中日戦である。
小雨模様の中日球場(のちナゴヤ球場)には、川上の偉業達成を見るため、3万5000人の大観衆が詰めかけた。そして、前の試合までに1998安打を重ねていた背番号16の川上は、初回、
杉下茂からいきなりレフト前ヒットで王手、さらに0対0で迎えた8回、杉下から代わった
中山俊丈からショートの頭を越えるヒットを放ち、2000安打を達成した(試合も巨人が3対1で勝利)。
試合後の川上は、何事もなかったかのように「あらためておめでとうと言われることでもないさ。でも16年は確かに長かったね」と淡々とコメントしたという。
首位打者5回の川上は、58年限り、通算2351安打で引退。ただ、「たら・れば」ながら、戦前の試合数が少なかったこと、また兵役に加え、終戦後のチーム復帰が遅れたことで、全盛期に3年以上のブランクがあったことを考えれば、
張本勲(東映ほか)の前に、史上初の3000安打を達成していた可能性も十分にある。
写真=BBM