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巨人監督事件史その3

三原脩監督「排斥血判状」

 

復帰し、後楽園球場であいさつした水原に花束を渡す三原監督(左)


 1949年、巨人を戦後初の優勝に導いた三原脩監督だが、優勝争い以外の部分でも波乱に満ちたシーズンだった。48年オフ、巨人は前年優勝の南海からエース・別所昭(のち別所毅彦)を強引に引き抜きいて大騒動に。最終的に移籍は認められたが、別所は出場停止処分を受け、開幕には間に合わなかった。

 一躍、遺恨試合として盛り上がった巨人─南海戦。4月14日のカードで三原監督が南海・筒井敬三捕手を殴る「ポカリ事件」を起こし、無期限出場停止処分となった。さらに解除となった直後、7月だった。長いシベリア抑留(当時のソ連の捕虜生活)から日本に戻ったばかりの水原茂が、チームに復帰。水原は戦前のスーパースターで、当時から将来の監督候補と言われていた。

 シーズン自体は2位・阪急に16ゲーム差をつける独走で優勝を飾ったのだが、オフになって三原派と水原派でチームが分裂。合理主義者で冷たい印象があった三原が、もともとチーム内で嫌われていたこともあり、水原派のほうがはるかに多数。彼らは「水原さんが戻ってきたのだから監督になって当然」と、ヤクザ映画のように血判状で誓いをかわし、三原派と言われた川上哲治襲撃などを計画していたという。

 結果的には、その情報が球団幹部に伝わり、事件は未然に防がれたが、騒動の責任をとる形で翌50年は、三原が背広組の総監督、水原が監督となった。結局、この待遇に不満を持った三原が、51年から九州福岡に本拠地を持つ西鉄監督となり、その後、50年代後半の西鉄─巨人の名勝負につながることになる。

写真=BBM
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