ふだんからオシャレでダンディだった水原監督。ブロックサインを日本に持ち込んだ指揮官でもある
1950年、
三原脩のあとを受け、
巨人監督に就任した
水原茂監督。翌51年に自身の初優勝を飾ると、3年連続優勝&日本一、さらに54年をはさんで、55年から59年までリーグ5連覇と黄金時代を築き上げた。
ただし、この5連覇時は、1年目の55年こそ南海を倒し日本一となったが、56年から58年は西鉄、59年は南海に敗れ、パ・リーグ王者の引き立て役に終わっている。この間、水原は品川主計球団社長と幾度となく衝突。プライドの高い水原が品川の口出しに不快感を募らせ、かつ頭越しに正力松太郎オーナーに相談するケースが多いことが品川を怒らせたこともある。
57年オフには辞意を示し、品川の慰留を一蹴しながら、正力の説得で翻意。その後、記者に囲まれる水原の部屋に品川が怒鳴り込み、「謝れ!正力さんが言ってすぐ翻すとは何事だ」とわめきまくった事件もあった。
ただ、60年、水原自身が追い出した形で西鉄の監督となり、3年連続日本シリーズで巨人を破っていた三原脩監督が万年最下位・大洋監督に就任。三原マジックで快進撃を続けると、一気に水原の風向きが悪くなった。水面下で、水原からヘッドコーチをしていた
川上哲治への監督交代が進み、今回は正力も了承。水原自身も、その動きを察知していた。
イライラが爆発したのが10月2日、
広島とのダブルヘッダー(広島市民)だった。第1試合で負け、大洋の優勝が確定。第2試合の後、至近距離から盛んにシャッターを押していたカメラマンに「いい加減にしろ。撮るな」と怒鳴り、なおも撮り続けたカメラマンに暴行。球団は水原に謹慎を命じ、翌日から川上が監督代行としてシーズン閉幕まで指揮を執った。
11月18日、川上新監督就任会見。水原も出席し、笑顔で握手を交わしたが、球団からのアドバイザリー就任要請は拒否。12月8日、東映監督就任を発表した。
写真=BBM