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巨人監督事件史その5

巨人初の最下位も「長嶋茂雄監督を救え!」

 

ファンよる“デモ行進”?


 今回の大型連敗の記事で何度も出てきたのが、1975年、長嶋茂雄監督1年目の11連敗だ(1期目)。

 国民的大スターであり、前年の74年、感動の引退試合でユニフォームを脱いだ長嶋が、川上哲治監督のあとを継ぐのは既定路線であり、コーチ経験なしの監督就任に違和感はなかった。

 V9巨人は確かに人気があったが、あまりに強過ぎた。「石橋をたたいても渡らない」とまで言われた川上監督の戦略には派手さがなく、少なからずファンの中にフラストーションがあったのも事実だ。

 青年監督・長嶋には、それらをすべて吹き飛ばす予感があった。「私が狙うのはクリーンベースボールです。鮮やかな胸をすくようなベースボールです」と長嶋監督。太陽のように明るく、元気。新時代到来にファンも大興奮でシーズンインを迎えたが、残念ながらとにかく弱かった……。

 主砲・王貞治が故障もあって出遅れ、新外国人のジョンソンがさっぱり。いつの間にか最下位にどっぷり定着した。ただ、負け続けるのにファンがなぜか盛り上がり、7月12日には「長嶋巨人を励ます緊急大集会」なる不思議なデモもあった。「長嶋なら何とかしてくれるはず」。みんなそう信じていた。

 しかし、それもかなわず、9月4日から1分けをはさむ、球団ワースト記録の11連敗。10月15日には広島の初優勝を本拠地後楽園で見る屈辱も味わい、全球団に負け越す球団史上初の最下位に終わった。ただし、長嶋巨人は翌76年から連覇。2年目の高橋由伸監督には、75年ではなく、76年の再現を期待しているのだが……。

写真=BBM
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