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“神の原点”高校時代の広島・鈴木誠也の強烈な記憶

 

二松学舎大付高時代の鈴木誠也


 夏の高校野球地方大会前、この時期は有力球児を取材するタイミングである。広島の背番号51を眺めていると、5年前の強烈な「記憶」を思い出した。

「神」の原点は高校時代にあった。

 2012年5月中旬の佼成学園高(東京)との練習試合。二松学舎大付高グラウンドのネット裏席で見ていると、一人だけ規格外の打撃をしていた。とにかく、逆方向の打球が伸びる。

 懐の深い始動からタイミングを取るフォーム。どこのコースも対応できる技術を、17歳の鈴木誠也は理路整然と語ってくれた。

「体が突っ込まず、ボールを手元まで引き寄せて、右手で押し込むんです」

 金属バットだと、芯に当たらなくても飛んでいく。すでに、高校卒業後のプロ入りを目指していたからか、俗に言う「金属打ち」ではなかった。木製バットにもすぐ、対応できるスイングをしていたのである。当時は右方向へ鋭い打球を飛ばす、ロッテ・今江(年晶。現楽天)をイメージしていたという。

 最速148キロの右腕エースとしてチームをけん引していたが、NPBスカウトの評価は「野手」でほぼ一致。とはいえ、ピッチャーとしても高いレベルにあり、カーブ、チェンジアップ、スライダー、フォーク、ツーシームと器用に投げ分けていた。

 あるベテランスカウトの言葉が忘れられない。

「四番・ピッチャータイプとしては、1985年のPL学園・桑田真澄以来、27年ぶりの衝撃」

 二松学舎大付高への進学理由もまた、「男気」があった。荒川リトルの監督だった父から、幼少時から情報が擦り込まれていた。

「夏の都大会決勝で9連敗(当時)していると聞いて即決です。負の歴史にピリオドを打って、悲願を達成したい」

 自身の3年夏は東東京大会準々決勝敗退で夢はついえたが、「神」の思いを継いだ後輩たちが2年後、そのトビラをついに開いた。2014年夏の最上級生は、鈴木が3年生のときの1年生。しっかり、思いが継がれたのである。

 一本筋の通った強い意志はプロで実現された。大ブレークした昨年、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。「神っている」は鈴木の代名詞となったが、四番に定着した今季は、言われなくなった。

 補足説明をしなくても、「一流」として認められ、真の「神」の領域に近づいた証拠だ。

 右翼守備での強肩を見れば、いかに高校時代、すごい投手だったかを想像できるだろう。

 そこで一つ、提案。オールスターでマウンドに立つ機会を与えてはどうだろうか。かつてはイチローも立った場所。さまざまな分野で物議を醸したが、ファンも喜ぶはず。

 5年前の「衝撃」を回顧しているうち、2012年夏の剛球を見たくなったのであった。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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