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MLB最新戦略事情

ダルビッシュ移籍で感じた20年間で大きく変化したトレード事情

 

レンジャーズからドジャースにトレード移籍したダルビッシュ


 筆者がMLBの取材を始めて2年目の1998年7月31日、シアトルのキング・ドーム。ヤンキースの伊良部秀輝がマリナーズを下し10勝目を挙げたのだが、同じ日、マリナーズのエース、ランディ・ジョンソンが突然アストロズにトレードされ、球場は異様な雰囲気に包まれていた。筆者も興奮しながら、取材に動き回ったのを覚えている。 

 今にして思えば。当時MLB球団のトレードへの取り組みはのんびりしていた。前年20勝のエースがFAになるとなれば、マリナーズは早いうちに契約延長交渉を進めるか、他球団とトレード交渉を始めておかねばならない。だが球団は延長オファーすらせず、シーズン序盤にウッディ・ウッドワードGMがまとめたドジャースとのトレードは上層部が反対し不成立。6月、8勝20敗の不振で、優勝争いから脱落し、そこで慌ててヤンキースやインディアンスと話し合うがまとまらない。

 ヤンキースについては伊良部の名前も挙がっていた。結果、期限ぎりぎりでフレディ・ガルシア、カルロス・ギーエンなどアストロズ傘下の無名のマイナー選手3人と交換したのだ。当時は、ある程度メジャー実績がある若手でないと対価を得られないと考えられていたため、マリナーズのクラブハウスは白けた雰囲気が漂っていた。ケン・グリフィーは「何も言うなと言われている」とふてくされていた。

 しかもジョンソンはトレード後、11試合登板で10勝1敗、防御率1.28、4完封の大活躍。マリナーズは愚かなことをしたと結論付けられた。しかしながら長期的に見るとウッドワードGMは見事な取引を成功させていたのだ。

 ガルシアは後にエースとなり、ギーエンは内野手の要、もう一人ジョン・ハラマも先発ローテに入り、2001年、イチローとともに116勝を挙げたときの主要メンバーとなる。とはいえ、それが分かったのはウッドワードGMが解雇された2年後だったのである。

 あれから19年、MLBではプロスペクト(将来有望株)への関心が著しく高まり、メディアの報道量も多い。加えて対価はMLBでの実績がむしろない、保有権を長く持てる選手にあると、見られるようになった。

 今回、ダルビッシュ有のトレード騒動を取材しながら、昔のことを思い出したが、ずいぶん変わったと思う。よりシステマチックで、うまくファンの関心をあおる。交換条件にレンジャーズのジョン・ダニエルズGMは、ランキングトップ50のプロスペクトを求めているが、ESPNによるとドジャースにはランキング11位、12位、28位、アストロズには16位、36位、43位、46位、ナショナルズには4
位、42位の選手がいるそうだ。実績なしの若手に行くべきか、ワイルドカード枠でもプレーオフ目指しダルビッシュとともに戦い続けるべきか、テキサスで熱い議論は続いていた。

 一方で、ロサンゼルスではダルビッシュ待望論が巻き起こっていた。地元ロサンゼルス・タイムス紙はプロスペクトの出し惜しみをするなとドジャースフロントに意見記事を書いた。騒ぎは7月31日に向け加熱していた(ダルビッシュはドジャースへトレード)。

 そんな中、今も昔も変わらないのはトレードの真の勝者が誰なのか、成立直後はまったく分からないこと。神のみぞ知る、なのである。

文=奥田秀樹 写真=Getty Images
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