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キセキの魔球

【キセキの魔球05】完全試合の勝負球

 

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

女房役の密かな決意


その後、メジャーで活躍した大家にとって、マイナーで完全試合を達成したことは大きかった(写真=Getty Images)


 2000年6月1日、大家友和はボストン・レッドソックス傘下の3Aポータケット・レッドソックス(ポーソックス)で、インターナショナル・リーグ117年、史上3人目となる完全試合を達成した。

 シカゴ・ホワイトソックス傘下のシャーロット・ナイツの打者27人に対して投げ込まれた球はわずか77球。うちストライクは59球と、抜群の制球力で圧倒した。単純計算で一打者あたり2.85球で片付けてしまったことになる。6つの空振り、2つの見送りによる計8奪三振と、11飛球と8つのゴロ。フルカウントに持ち込んだことは一度もなく、2−2カウントになった場面は、元ダイエーホークスのスコット・ライディに対しての2回だけ。いずれも5球目であっさり三振に打ち取っている。

 終盤まで1−0の均衡した試合運びが続き、ようやく8回に味方の追加点で2−0とリードを広げた。追加点の口火を切ったのはポーソックスの先頭バッター、アーロン・ホルバートという遊撃手だ。ホルバートは、トモ・オオカの完全試合を5回の時点で意識し始め、8回の打席では何が何でも打ってやるぞと闘志を燃やしていた。

 じつは、北米では完全試合にまつわる一つのジンクスがある。一言でも「パーフェクトゲーム」と口にすると、ツキが落ちてしまうというのだ。だから記録達成を阻止するために相手チームの選手たちはしきりに「ノーヒッター、パーフェクトゲーム。ノーヒッター、パーフェクトゲーム」と、呪文のように唱えるのである。

 この日もシャーロットの捕手は、バッターボックスに立つポーソックスの打者に呪文を唱えていた。8回の打席に立ったホルバートにも同様。しかし彼はその呪文にほんの少し苦笑いしたあと、4球目をかっ飛ばして二塁打とした。送りバントで三塁へ、さらに暴投のすきにホームイン。ちなみにこのホルバートという選手は、10年近くマイナー生活を続けたのち、シンシナティー・レッズで9年144日ぶりにメジャー・リーグへ返り咲いている。

 大家をリードしたのはベテランのジョー・シダルというキャッチャーだった。フットボールの元司令塔というだけあり、頭脳は明晰、肩も強かった。しかしバットはなかなか火を吹いてくれない。それまでの13年間、メジャーとマイナーを行き来する生活に疲れ、そろそろ見切りをつけなければと悩んだ末に、6月1日のホームゲームを現役最後の試合にしようと密かに覚悟を決めていた。

 もちろん登板前に大家はその決意を知らされていない。

「日本で15勝くらいしてると思ってた」


伊良部も大家のボールに好評価を与えていた(写真=BBM)


 試合が始まり、大家のコントロールは回を追うごとによくなっていった。この日、シダルが最も信頼したのは大家のストレートである。甘い場所にはほとんど行かず、ストライクゾーンの内と外、コーナーぎりぎりをついていた。これでは打者は手が出ない。たとえバットに当たっても打たされた格好になり、当たりの弱い内野ゴロか、ポップフライになるだろうとシダルは予想した。そして実際、打者はそうやって淡々と打ち取られていったのだ。

 同じく2000年のシーズン、当時3Aオタワ・リンクスで調整していた故・伊良部秀輝氏が、対戦相手のピッチャーだった大家友和のピッチングを高く評価している。特に感心したのは大家の4シームだった。低めに投げ込まれたストレートが、ベース付近でふわっとホップするのが彼の4シームの特徴だ。この球を魔球レベルだと評した人もいた。

「てっきり、あいつ、日本で15勝くらいしてると思ってた」と、伊良部氏。

 ところが渡米時には日本球界でたったの1勝である。

 横浜を退団後、アメリカの球界で投げ始めてから2000年の完全試合までわずか15カ月という短い期間しかない。アメリカへ来てから新たな球種に取り組んだとしても、ピッチングの基盤となる4シームは日本にいたころから投げていたはずだ。日本で一軍起用されなかった球が、1年半後に3Aレベルで完全試合を達成しまったとしたら、それは渡米後、相当に改良されたと考えるのが自然だろう。

 ところが大家は意外なことを言った。

「渡米して変えたことは、4シームのボールの握りの方向を変えただけなんです」

 つまり、伊良部が絶賛し、捕手のシダルが完全試合達成の局面で最も信頼した大家友和の4シームは、基本的に日本で投げ込まれていた球と同じだったというのである。ちなみに完全試合で対戦したシャーロットの打者10人中一人を除き、皆メジャー・リーグでの経験のある選手たちである。

「自分のボールが他のピッチャーの4シームと少し違うということに、おそらく自分では気がついていなかったと思います。球速がそれほど出なくても、球の質が少し違ったり、今は分かるんですけど、当時は分からなかった。日本で投げていた時も言われたことはあったんですけど、ピンと来てなくて。自分ではスピンの効いているボールを投げようと意識はしていたし、一生懸命投げてましたけど……」

 渡米してじきに2シームに着手した大家は、コーチの言うとおりに投げようとしても、どうしても引っ掛けてしまい、なかなか2シームが使い物にならなかった。そもそも4シームの投げ方が人と違うのだから、一般的なアドバイスだけではうまくいかなかったのだ。後々大家は2シームを得意とするようになるが、それもまた独特な4シームを持つ大家ならではの2シームということになる。

助けてくれたのは4シーム


 いずれにしても、大家は渡米して数年間は、基本的には日本で投げていた球の種類とそう変わらない球を投げ込み、メジャーでの勝ち星を重ねていった。

「カーブやスライダーの精度がまだ高くない中で、何が僕を助けてくれたかと言ったら、やはり4シームでした」

 完全試合当時の持ち球は、4シーム、カーブ、スライダー、そしてスプリット。

 さて、27人目、最後の打者となったのは、のちに西武ライオンズに在籍する代打のジェフ・リーファー。捕手のシダルの心臓はバクバクと高鳴った。そして、「トモはきっとこの指を信じてくれるだろう」と思いながら、77球目、最後のサインを送る。もちろん、信頼の4シームだ。

 大家はそれに応える。渾身の一球を投げ込んだ。リーファーは初球に手を出した。打球は二塁手の正面へ。デビッド・エクスタインがさばいて一塁へ送球、ゲームセット。

 その瞬間、シダルは猛然と大家のところへ駆け寄り、防具をつけたまま抱きついた。マウンドの二人にチームメートたちが次々に飛びかかる。そのたびにシダルのヘルメットが大家の顔面を直撃して、大家は「イタイよ、イタイ!」とうれしい悲鳴をあげた。

「すごいぜ、すごいぜ! やったよ。パーフェクトゲームだよ、トモ、すごいぜ!」

 シダルは夢中で叫んでいた。

 あれから17年、大家友和の中で完全試合はどんな風景として蘇るのだろうか。

「最後のアウトを取った瞬間、チームのみんなが喜んでくれて、球場のお客さんもそうでしたし、チームメートたちは相当、僕に気を使ってくれていましたから、みんな緊張していたし、その緊張からの解放感、安堵感、そして喜びを爆発させたことですね。キャッチャーだけが冷静でした。僕は、それが彼にとって最後の試合だとは知らなかったけれど、イニングごとに自分の終わりに近づいていくわけですから。ジョー(シダル)はすさまじい集中力でした。投げていた僕よりも集中していたと思う。一球たりともムダな、彼がいい加減に、これでいいかなあと妥協したサインは一つもなかったと思います。77回しかサインを出していないですからね」

 完全試合の翌月、大家はメジャーに昇格して、先発ローテーションに定着した。一方のシダルは、その2日後、引退を表明している。

<次回8月12日公開予定>

文=山森恵子
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