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夏の甲子園珠玉の名勝負

【夏の甲子園 名勝負4】怪物・江川卓、高校時代最速の1球

 

連日、熱戦が続く夏の甲子園。『週刊ベースボール』では戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を1日1試合ずつ紹介していきたい。

「いままで一番速い球を投げたい」


延長12回裏一死満塁フルカウントの場面で、江川自らタイムをかけ、ナインをマウンドに集めた。その後の江川の表情から覚悟を決めた思いが伝わる


<1973年8月16日>
第55回大会=2回戦
銚子商(千葉)1−0作新学院(栃木)

 高校野球の歴史に燦然と輝く、作新学院の“怪物”江川卓(のち巨人)。史上最速と言われた快速球を武器に甲子園を沸かせた右腕だ。今回は、そのラストゲームを取り上げる。

 常にあと一歩で届かず、3年春のセンバツが江川にとって甲子園初出場。準決勝で広島商に敗れたが、4試合で60奪三振の快投を見せた。大会後、あちこちから招待試合の誘いがあり、結果的には毎週のように対外試合が組まれ、取材攻勢もすさまじいものがあった。

「かなり疲労がありました。3年夏の県大会は、いっぱいいっぱいでしたね。甲子園は疲れてもう肩が上がりませんでした」(江川)

 それでも5試合無失点で4完封、3試合がノーヒットノーラン。「打線も疲れていたんで、1点でも取られたら負けるという認識でした」と必死に投げた結果だった。

 連続出場となった夏の甲子園。1回戦は柳川(福岡)相手に1失点も延長15回2対1のサヨナラ勝ち。江川はなんと23三振を奪った。

 続く2回戦の相手が好投手・土屋正勝を擁する銚子商だ。練習試合で何度も対戦している相手でもあったが、10回以上戦い、銚子商が勝ったのは、わずか2回、しかも、いずれも江川が先発した試合ではなかった。ただ、試合のたびに、あの手この手の江川対策を繰り返し、選手たちは江川の速球に多少目が慣れていたという。

 もちろん、それで攻略できるほど、怪物は甘くない。江川、土屋の投げ合いで0対0のまま延長戦に。ポツポツと落ちていた雨も本降りとなっていた。12回裏、江川は制球を乱し、2四球1安打で一死満塁のピンチを招き、しかもフルカウントとなった。

 江川は、ここで自らタイムを取り、内野手をマウンドに集めた。「ずっとまとまっていないというのが心にあって、なんとなく最後の1球にしたかったんです」と江川。実は、チーム内はバラバラ。その原因は江川、いや江川を扱うマスコミにあった。

「あるときから『作新の江川』から『江川の作新』になったんです。みんな自分が打っても記事にならないと思い始めたみたいです。確かに江川がどういうピッチングをしたかという記事ばかりでしたからね。決して関係が悪いわけじゃないんですが、みんながまとまらなくなって、あまり口もきかなくなった」

 甲子園出場は果たしたが、ずっとその空気を引きずっているように思った。“怪物”江川は、実は繊細な男でもある。だからこそのタイムだった。

 そこで江川は「いままで一番速い球を投げたい」と言った。ボールなら押し出しサヨナラ負け。分かってはいたが、不思議とストライクを投げよう、という思いはなかったという。すると一塁の鈴木秀男が「もう春も夏も来たから好きにやればいいじゃないか」と笑顔で返した。一瞬にして江川の心のモヤが晴れた。最後の1球、169球目のストレートは高めに外れ、押し出し。されど江川の顔には、悔しさはなかった。

「僕は、高校野球で一番速い球を投げたつもりでいますよ。本当に行っていたかは分かりませんけれど、意識の中では一番速い球を投げたつもりです。それに、あれでみんながまとまったというのがあったんで、よかったな、と」

 巨人時代、一部から「未完の怪物」と言われ続けた江川。「あの江川なら、もっともっとすごいピッチングができるはず」という幻想からだ。高校野球のラスト1球もまた、「江川らしい」と言えるだろう。

写真=BBM
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