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キセキの魔球

【キセキの魔球07】期限3分前のトレード

 

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

“見えない敵”におびえていた


豊富な先発陣にレッドソックスでは出番に恵まれなかった大家


 大家友和のトレードが決まったのは、2001年7月31日午後3時57分。トレード期限である東部時間午後4時のわずか3分前だった。モントリオール・エクスポズからは抑え投手のウーゲット・ウービナと推定1億2500万円の現金、一方ボストン・レッドソックスからは大家と1Aの若手左腕が交換要員だった。

 監督のジミー・ウィリアムズは、ボストンのフェンウェイ・パークの監督室でカウントダウンを始めていた。

「期限まで、あと960秒だな」

 編成の責任者はゼネラル・マネジャー(GM)のダン・デュケットだ。監督はGMのチーム構想に従って采配を振るうのが仕事である。

 その日、ナイトゲームを控えたフェンウェイ・パークに大家の姿はなかった。3日前に3Aポータケット・レッドソックスへ送られていた。

 メジャー3年目となるその年、初めて25人のメジャー開幕ロースターに入り、先発として4月の5試合を投げて2勝1敗、防御率2.28と好スタートを切った。

 ところが彼は、その間、ずっと“見えない敵”におびえていた。

 その年のレッドソックスの先発陣には、エースのペドロ・マルチネスを筆頭に、ブレット・セイバーヘイゲン、オフシーズンに獲得したデビッド・コーンや野茂英雄、フランク・カスティーヨ、ナックルボーラーのティム・ウェイクフィールドなど、サイヤング賞投手や200勝するような大物がズラリとそろっていた。

 大家と言えば、先発の中で最年少の25歳、メジャー実働3年未満で年俸調停権利を持たないため、年俸はリーグ最低に抑えられていた。しかも「オプション」と言って、ウェーバーにかけずに傘下のマイナー・リーグに自由に何度でも落とすことのできるチームの権利が残っている。実働5年以上の選手に対しては、選手の意向を無視して降格させることはできない。レッドソックスのピッチャーの中でオプション期間が残っていたのは、大家ともう一人の若手だけ。故障者リスト入りしていたベテランが戻ってきたとき、誰がそのイスを明け渡すかと言えば、この二人しかいない。チームは高額年俸の選手の利用頻度を保つことで投資した元を取ろうとする。その一方で、有望株の新人はクビになる心配をしなくていい代わりに、数年間はチームの言いなりだ。

 理屈では分かっていても、それがどんなにむごいことなのかは経験してみないと分からない。前年、3Aでパーフェクト・ゲームを達成した大家は3Aではスターだった。実力からすればもうマイナーでプレーする選手ではない。そうかと言ってメジャーでは簡単にはじき出される弱い立場だ。

 その狭間で大家は苦しみ始めていた。

監督からのはなむけの言葉


レッドソックスの本拠地のフェンウェイ・パーク。大家はここで2年半プレーした


 渡米1年目にマイナー11連勝でメジャーデビューしてからずっと前だけを向いて走って来た。けれど、結果を残してもどこにも自分の居場所がないと知ったとき、これからどこへ向かって走って行けばいいのか彼には分からなかった。この修羅場の向こうに明るい未来が開けることを誰も教えてはくれなかった。

 5月からトレードまでの2カ月半の間にメジャーと3Aを行ったり来たりした回数は、述べ5回。最初の降格前の試合で、3回途中2死満塁の場面で降板させられたときにはダグアウトで派手に荒れた。焦りと、失望。だがそれ以降はそんな元気も失い、それまでの野球人生で最悪な状態に陥っていく。打たれてもコンチクショウと思えない、そんな悲しい状況だ。

「どこに自分のモチベーションを持って行ったらいいのか、どこを目標にやればいいのか、どうしたらいいのかが見えませんでした」

 初夏のころから、大物選手獲得のためのトレード要員として頻繁に名前が出るようになる。

 7月下旬、レッドソックスとしての最後の先発登板となる試合で打ち込まれ、その後、監督のウィリアムズは大家に話をした。

「トミー、今年はキミをもう先発で使ってあげられないかもしれない。ペドロやノモ、コーンやカスティーヨもいるだろ。う〜ん、難しいなあ。でもまた、あのときみたいに元気を出して頑張ってくれよ!」

 あのときとは、ダグアウトでキレてしまったときのことだ。あの一件で監督が大家をとがめることはなかった。悩める若い息子を見守り、羽ばたく背中を押すようにして、監督は大家にはなむけの言葉を送ったのだ。トレードの10日前、これが二人が交わした最後の会話だった。

技量をサポートするハート


 7月31日、大家は3Aの遠征先のケンタッキー州ルイビルにいた。当時チームには、広島東洋カープのトレーナーである野口稔氏が研修のためにチームに帯同していた。

「野口さん、今、何時ですか?」

「4時半。大家クン、大丈夫。トレードなんて、ない、ない」

 しばらくして、大家は3Aの監督の部屋に呼ばれる。トレードが成立したのだ。

「トモ、今はどんな気持ちだい?」と、監督が尋ねる。

「良かったと思っています。僕は、ハッピーです!」

 何も約束されたわけではないけれど、エクスポズに行けば希望が持てるような気がした。マウンドから無理やり引きずり降ろされるようなことは、もうきっとないだろうと思った。しばらくするとエクスポズの球団関係者から大家の携帯電話に連絡が入った。合流先はメジャーが滞在しているアリゾナ州フェニックスだった。

 大家は、自分のロッカーからいつも使っていたグラブを取り出し、野口に差し出した。野口はうれしそうに、大家に頼んだ。

「今日の日付を書いてよ、それからボストン。ボストンって、書いてくれよな」

 そして、別れ際に言った。

「これが最後のマイナー・リーグにしろよ、もう絶対戻ってくるなよな」

 ロッカルームを空にして大家が出て行った後に野口はこう語っている。

「彼は黙々とトレーニングするし、静かだけれど、熱い男です。そして男気もある。こっちに来る人は誰しもそれなりの技量を持っていると思います。でも、その技量をサポートするのは、ココですね。彼にはそれがあります。私は彼を誇りに思います」

 ココ、ココ、と言いながら、野口は何度も自分の胸を拳で叩いた。

<次回8月19日公開予定>

文=山森恵子 写真=Getty Images
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