勝利を飾り、笑顔の工藤。マウンドに駆け寄るのは捕手・阿部
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月17日だ。
現在は
ソフトバンクの指揮官として、優勝に突き進む
工藤公康監督。2004年8月17日は、“鉄腕”と呼ばれ、多くの最年長記録を更新した(多くは元
中日・
山本昌に抜かれたが……)左腕・工藤公康が記念すべき大記録、通算200勝に到達した日だ。
この日の
巨人─
ヤクルト戦(東京ドーム)は、大記録に王手をかけながら5回4失点で降板した8月11日の中日戦(ナゴヤドーム)から中5日のマウンド。さすがのベテランも前夜は「なかなか寝付かれなかった」と振り返る。
当時の工藤は勝っては喜びを爆発させ、負けては悔しさからストレスをためていた若手時代とは違い、「勝つことよりも、自分がどんなピッチングをするか考える」境地にあったが、「それが200勝となったときに勝ちたいという気持ちが前面に出て、冷静じゃない自分がいた」という。
初回、「僕は立ち上がりが永遠の課題」と苦笑するように、簡単に二死を取るも三番の
岩村明憲に先制ソロを許す。味方打線が4回に同点としたが、7回表、今度は
志田宗大にソロを浴び、ヤクルトが勝ち越し。
工藤劇場が始まったのは、その裏、巨人の攻撃からだ。まず
ペタジーニが同点弾。その後、二死二塁で打席に入ったのが工藤だった。先発のベバリンがカウント3ボール1ストライクから投じた高めのストレートを「一、二、三のタイミングで振った」(工藤)打球が2ランホームラン。
西武、ダイエーとDHがあるパ・リーグが長かったこともあるが、これがプロ初ホームランだった。
自らのバットでピッチングも乗っていく。8回、9回を失点ゼロの完投で大記録達成。4対2の勝利だった。捕手の
阿部慎之助がマウンドに駆け寄り工藤を持ち上げようとするが「重くて」(阿部)上がらなかった。41歳3カ月での達成は当時、史上最年長記録でもある。
「9回ははっきり言ってびびってました。足が震えた。僕がマウンドで足が震えたのは(1986年)西武時代、
広島との日本シリーズ第8戦で8、9回を投げて以来、2度目です。200勝の中で、どれが思い出に残るかと言われたら、やっぱりこの1勝だと思います」
これが9勝目、最終的には同年10勝7敗をマークしている。
写真=内田孝治