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夏の甲子園珠玉の名勝負

【夏の甲子園 名勝負15】1998年夏 横浜ナインが遂げた驚愕のクライマックス

 

夏の甲子園も残すところ準決勝2試合と決勝のみとなった。残り2日間も『週刊ベースボール』では戦後の夏の甲子園大会の歴代の名勝負を紹介していく。

史上最強のチーム


決勝の最後の打者は空振り三振。松坂は春夏連覇の偉業をノーヒットノーランで成し遂げた


<1998年8月21日>
第80回大会=準決勝
横浜(神奈川)7−6明徳義塾(高知)

<1998年8月22日>
第80回大会=決勝
横浜(神奈川)3−0京都成章(京都)

 ふたたび1998年夏に戻る。前回紹介した準々決勝の横浜─PL学園(南大阪)戦は、延長17回9対7という劇的な試合で横浜が勝利。ゲームセットは8月20日の12時7分だったが、野球の神様は、この年、少しせっかちだった。

 翌21日、13時開始のゲームで、われわれは、ふたたび信じられない試合を目撃することになる。

 準決勝、横浜の相手は高知代表の明徳義塾だった。前々日148球、前日250球を投げた横浜のエース、松坂大輔は先発を回避し、「四番・レフト」に入る。明徳義塾の馬淵史郎監督は、「松坂がおらんと面白うないな」と思ったという。

 明徳は寺本四郎(のちロッテ)、高橋一正(のちヤクルト)の投の二枚看板と強力打線で勝ち上がってきたチーム。対して、横浜には延長17回の疲労が残る。馬淵監督に、それだけの自信があったということだろう。

 実際、試合は一方的な明徳義塾ペースとなった。横浜先発・2年生の袴塚健次、さらに二番手の同じく2年生・斉藤弘樹を攻め立てる。この試合でサイクルヒットを達成した一番・藤本敏也の活躍もあって、8回表を終えた時点で6得点。対して横浜打線は、寺本の前にわずか3安打に封じられ、8回裏、横浜の攻撃を前に0対6と大量リードを許していた。

 しかし8回裏、先頭打者がエラーで出塁の後、横浜打線が寺本を襲い、3連打でまず2点。ここで馬淵監督は寺本から高橋へスイッチしたが、高橋は自らの暴投もあって2点を奪われ、ついに横浜は4対6と2点差まで詰めた。

 続く9回、ヒジの張りを抑えるテーピングをむしり取った松坂が三マウンドに向かうと、甲子園から大松坂コールが沸き起こる。打者4人を15球で、きっちり無失点で抑えたとき、試合の流れは、完全に横浜になっていた。

 9回裏、横浜は、わずか3球で無死満塁とし、三番の後藤武敏(現DeNA)が同点の2点タイムリー。さらに松坂の公式戦初という送りバントの後、一塁にいた寺本が再びマウンドに上がり、四球、三振で二死満塁となった後だった。

 途中出場の柴武志の打球は二塁手の横を抜け、センター前へ。三塁走者の松本勉がホームイン。7対6、奇跡の逆転勝利の完結だ。寺本ら明徳ナインは号泣しながらグラウンドに崩れ落ち、しばらく立ち上がれなかった。

 さらにドラマは続く。

翌22日の決勝。相手は京都成章だった。大会前の下馬評は決して高くなかったが、一戦一戦、戦いを重ねるたびに強くなっていったチームだ。

 疲労の蓄積もあってか、序盤ややバタバタした先発の松坂だが、3回からエンジンがかかり始める。140ロ台中盤のストレートを軸にスライダー、スローボールも交えて凡打の山を築く。

 横浜打線は、京都成章の先発・古岡基紀攻略に手間取ったが、4、5、8回と1点ずつを加点し、あとは松坂の“大記録”なるかに注目が集まった。そう8回を終えて、松坂は、いまだヒットを許していなかったのだ。

 9回表、最後の打者、三番の田中勇吾をスライダーで三振に打ち取ると、スコアボードを確認するように後ろを向き、松坂が笑顔でガッツポーズ。平成の怪物は、決勝では59年ぶりとなるノーヒットノーランで、自らの伝説に花を添えた。

 優勝インタビュー。横浜・渡辺元智監督は、「史上最強」と水を向けられ、「そう評価していいと思います」と胸を張った。

写真=BBM
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