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王貞治756号本塁打40周年記念企画

【王貞治756号本塁打(9)】休日のマスコミ狂騒曲

 

1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを当時、王がホームランを打った日に合わせながら、写真とともに振り返る。

鳴りっぱなしの電話


カメラが常に王に向けられる。時々「そんなに撮っても使わないだろ」とあきれることも


 8月25日に753号を記録した後、8月26日は試合がなかったが、当時の王貞治の周囲のフィーバーぶりを紹介しよう。

 この日、広島から夜行列車と新幹線を乗り継ぎ、午前9時10分に東京駅に戻った長嶋茂雄監督らと別組(巨人は事故などを考え、必ず2班で移動した)で、飛行機で東京に戻った王は、マスコミに対し「今日だけは自宅取材を勘弁してください。久しぶりに家族と過ごしたいから」と言った。

 だが、マスコミも世紀の大記録を前に、王の記事を載せない(放送しない)わけにはいかない。

 連絡を聞いた各社のデスクたちは、王番記者に「分かった。では家に押しかけるのはやめよう。だが、電話をかけて今日の行動をチェックしろ」と、同じような指示を出した(らしい)。

 王が恭子夫人や子どもたちと外食して家に帰ると、留守番をしていたお手伝いさんがうんざりした顔で「電話がかかりっぱなしでした。途中まで数えていましたが、50回を超しました」。

 その後も、ずっとリンリンと鳴りっぱなし。「ざっと100回はあった」(王)らしい。

 この日は午前中にはセの各球団代表が都内のホテルに集まり、どの球場で達成するか分からない大記録のセレモニーについての打ち合わせ。巨人も夕方から正力亨オーナーらが集まり、後楽園で決まった際のセレモニーの原案を作り上げた。

 また、あと3本とあって、早ければ翌27日のヤクルト戦(神宮)での達成もあり得る。フジテレビでの中継予定だったが、この日、局から「試合内容によっては、後番組を割愛し、中継を延長する準備があります」と発表があった。

<次回に続く>

写真=BBM
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