38年前は広島の3連勝だったが……
虎殺しの名人・池谷(写真は同年の10月6日のゲーム)
ヤクルトの“乳酸菌”で少し元気になったとはいえ、マツダ
広島の
阪神3連戦を前に週刊ベースボール編集部の広島サブ担当(女性)の顔色が冴えない。
「やっぱり
鈴木誠也の穴を埋め切れてないんですよね……」
2位・阪神とは6.5ゲーム差。ほかの担当からすれば「何をぜいたく言ってやがる」と舌打ちしたくなるところだが、まあ、女性は大事にしなければならない。
編集部のベテラン記者に彼女が元気になりそうな話がないか聞いてみた。すると……。
「だったら1979年がいいだろ。あれは、広島連覇の1年目。あのときも夏場は首位の広島と阪神が競っていた。今年と違い、かなりの僅差だったけどね」
なんだか昔話の語り部のようだが、40年近く前の話だから仕方あるまい。
この年、広島は8月17日に首位に立った。28日からの2位・阪神との3連戦は天王山とも言われた。
初戦の舞台は快晴の甲子園、阪神先発は前年から広島に6連勝中(2セーブも)のエモやん、
江本孟紀、対して広島も、この年阪神に3連続完投勝ちをしていた虎殺しの名人・
池谷公二郎だ。
試合は阪神のセンター・スタントンのまずい守備もあって広島が2対0の勝利。当時の週べを読むと「千葉県・鹿野山神野社から逃げ出していた虎が、この日、射殺され、阪神ナインが落胆も原因」とあったが、たぶん、“作り”だろう。
翌29日も外野守備の乱れで広島が9対0と大勝。阪神はその前の大洋戦から4試合連続完封負けとなる。これには阪神ファンも大荒れで、試合後、「金返せ」「死んだ虎を見に来たわけじゃねえぞ」とわめき声があちこちから起こった。
舞台を岡山に移しての30日の3戦目、阪神は切り札・
小林繁、広島は
山根和夫。試合は1点を争う投手戦となる。決着は12回表二死、伏兵・
道原裕幸の決勝弾。広島が2対1の勝利を飾った。
広島は3連勝。1ゲーム差だった阪神との差も4ゲーム差となり、以後、優勝に突き進む。対して阪神は、このショックもあってか最終的には4位……。
あれ、今度は阪神担当の顔色が悪くなった。
「大丈夫、阪神と広島が競って阪神が飛び出したのは、あの85年がそうだった……」
歴史は偉大である。
写真=BBM