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キセキの魔球

【キセキの魔球11】“マツザカ・マニア”の嵐と、フェンウェイに残した49勝目の刻印

 

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

“フロントドア”“バックドア”という概念


ブルージェイズに在籍していた2007年、大家は日米通算50勝をマークした


 2007年4月23日、大家は、対ボストン・レッドソックス戦で日米通算50勝目を挙げた。この50勝の内訳が大家友和という野球選手の成り立ちを如実に表している。

 当時、彼が書いていた雑誌の連載にこんな下りがある。

「新聞記者の人には日米通算50勝がどうとか聞かれましたが、それって結局、僕が日本で1勝しか挙げていないってことになるから、あんまり大騒ぎしないでほしかったんですよね(笑)。まあしかし、今季初勝利が、昔、慣れ親しんだボストンで挙げられたっていうのは、何かの縁かなあという感じがします」

 舞台は、彼が1999年に23歳でメジャー・デビューを果たしたフェンウェイ・パークだった。対戦相手は古巣レッドソックスだ。元チームメートのナックルボーラー、ティム・ウェイクフィールドとの投げ合いだった。もちろんこのときの彼は、自分が将来ナックルボーラーになるなんて思ってもみない。

 その時期、所属するトロント・ブルージェイズは短期間にレッドソックス戦が続いた。大家は3週間で3度ボストン戦に先発している。第1戦は4月18日トロントでの対戦で、5日後の23日、今度はボストンで再び対決した。先発ローテーションはともに中4日で回り、両試合とも大家対ウェイクフィールドだった。2つの試合で、レッドソックスの打順は七番が変わっただけで残り8人は不動だった。

 打順が2巡目に入ると、ピッチャーの頭脳はまるでコンピューターのように1巡目の対決模様を鮮明に再生するという。

「ええ、全部覚えています。向こう(打者)も当然、覚えているだろうけれども、気にしない人と、気にする人がいるので、これで攻められたから、次はこれで打つみたいな、あるいは手を出さないよ、みたいなところがあります」

 さらに、メジャー・リーグの強打者との対峙には、ピッチングの常識が通用しないこともあるのだ。

「例えば低めに決まったのにうまく打たれたと言われるけれど、そこを打つバッターに対して、そこに投げたら打つんですよ。カルロス・ギーエン(当時デトロイト・タイガース)に打たれたダブルもあそこじゃダメで、逆に高いところ、内角ならベルトの高さぐらいに投げるべきだった。ピッチングの基本というのがあって、それは外角低め、コーナーの低めに投げなさいよというけれど、彼の得意はあそこだった。体の近いところで振ってくるから、詰まらせなきゃいけない。(腕が)イクステンション(伸ばすことが)できないところに投げなきゃいけないんです」

 詰まらせるために武器になるのが、彼が得意とする動かす球である。ブルージェイズのキャッチャー、グレッグ・ザーンは、大家の投球の成熟度について次のように語っている。そこからは、15年、黒田博樹広島復帰したときに注目された“フロントドア”“バックドア”という概念を、07年の大家はすでにふつうに持ち合わせていたことが分かる。フロントドアとは、打者の内角から入ってくる変化球のことで、バックドアとはその逆で、打者の外角からストライクゾーンに滑り込んでくる球である。

「今、取り組んでいるのは、左打者に対してのバックドア・スライダーと、フロンドドアのシンカー(2シーム)の組み合わせだ。フロントドアに投げ込んでから、軌道を戻してコーナーに収めるオオカのシンカーは相当いい。彼は制球がよくて、ストライクの確率が高く、何より球を動かすことと、球のスピードを変えることも得意だね。以前よりも今のほうがピッチングが冴えている。ボールがさらにいい動きを見せる。シンカーならばさらに深く、カッターならば浅く、素早く。二通りの違ったボールの動かし方をさせながら、まったく同じロケーションに投げ込むことができるんだ」

大家の発言に解説者は爆笑


大家が日米通算50勝目を挙げたレッドソックス戦で、相手先発はナックルボーラーのウェイクフィールドだった


 ウェイクフィールドとの対決1戦目となったトロントでの試合は、レッドソックスが4対1で勝利した。1回表、大家は速球とスライダーが冴え、ほぼ完璧に攻める。一方のウェイクフィールドが投げ込むのは67マイル前後の緩いナックルボールだ。彼も淡々とアウトを取って行く。4回表まで両者の好投により、試合はテンポよく進んだ。

 最初に崩れたのはウェイクフィールドのほうだった。4回裏、連続3与四球で満塁としながら、しかしブルージェイズは打つことができない。一方の大家は5回二死まで無被安打の好投。しかしマイク・ローウェルへのスライダーが高めに入り、初安打がホームランになった。その日、大家が浴びたヒットは4本。そのうち最初の3安打がソロホームランという痛快な打たれ方をした。7回一死で降板。観客はパラパラと立ち上がり、やがてその数は大勢となり、ダグアウトに吸い込まれる大家を拍手で迎えた。

 ブルージェイズはこの日、あえて若手のバッターをラインアップから外している。その理由は、対戦ピッチャーがナックルボーラーだったからだ。ギボンズ監督はこう説明する。

「ウェイクフィールドと対戦すれば、スイングが崩され、1週間は戻らない」

 ベテランの強打者フランク・トーマスも“魔球”が苦手だ。

「ドーム球場でナックルボーラー? 誰も対戦したくないよ。何球か投げるのを見て、すげぇーって思った。あんまりボールが揺れるから、ミラベリ(捕手)が取り損なっただろ? 5日後に再び対戦だ。今度は屋外。さて、どうなるかね」

 翌日、カナダのスポーツ・ニュースは、前夜の3連続ホームランを連発させた後、試合後の囲み取材での大家のコメントを取り上げた。それは英語だから言えた彼の本音だった。

「マツザカについてどう思うかと聞かれて、オオカは、マツザカのことはどうでもいいです、だからどうだっていうんですか、って答えてる。最高だね」

 そう言って解説者は爆笑した。

 この年、松坂大輔はレッドソックスと6年の大型契約を結び、大リーグ・デビューしている。同時に岡島秀樹も加わった。松坂のデビュー2試合目にイチローとの対決となったシアトル戦には、異例の350人の報道パスの申請があったそうだ。ワールド・シリーズ第7戦の取材陣の数を上回っていた。その半数以上は日本の報道陣である。デビュー3戦目となったトロントにも100人以上の報道陣が押し寄せ、大群が試合前のフィールドにあふれた。松坂を取り巻くマスコミの過熱ぶりは異様で、地元関係者もうんざりだったのである。そして、大家は自分の登板日に松坂をどう思うかとマイクを突きつけられた。

 アメリカにおける日本人対決について、大家はこう語っている。

「僕の生活を脅かす者は、それが何人であっても、誰一人として許さん、って言ったら面白く聞こえるんでしょうけれど、まあ、そういうことですよ。日本でたくさん活躍してきた人たちの持つドラマ性みたいなものは、悲しいけれど、僕にはない。特定した選手と対決してきたからどうとか、またこの国で大リーグというレベルで対戦したからどうなんだとかね。松坂君とイチローさんにはドラマがあったわけで、しかも日本で一番のピッチャーとバッターが対戦するというストーリーがそこにはあって、メジャー・リーグでも一番になれない、日本でも一番になれなかった人間が、日本で一番だったピッチャーやバッターと対戦したところで、(メディアが考える)図式として僕は挑戦者になってしまう」

 大家は、対戦するピッチャーやバッターとの対決意識は薄いと言った。それならば、彼は何と対決しているのか。

「1球、1球、雑にならないように、大事に投げていくこと。それがバッターとの対戦につながると思います。まあ、自分と戦うということですかね」

突然、吹き荒れた嵐の中でも平常心で


2007年、松坂大輔がレッドソックス入りして大騒ぎとなったが、大家の心は乱れることはなかった


 ウェイクフィールドとの2戦目の前夜、大家は6年ぶりにボストンへ入った。01年にモントリオールへ移籍したときに街を離れて以来である。

「前に比べて知った選手は減ったけれど、僕の中では(レッドソックスは)特別です。登板当日になったら何かしら思うのかな? 変わり果てたフェンウェイ・パークを見て、悲しい気持ちになるのかな? 僕のときはグリーンモンスターの上に人(観客席)がいなかったし」

 松坂の先発ローテーションは、ウェイクフィールドの一つ手前だった。つまり、大家は松坂が投げた翌日にマウンドに登る日が続いた。大家がボストン入りした日、松坂は大リーグ2勝目を挙げている。そして日本のメディアは、大家の49勝目よりも松坂の2勝目に価値を見出すのだ。もともとレッドソックスで背番号「18」をつけていたのは大家だった。日本のエースナンバーだから選んだのではない。生まれた家が18番地、誕生日が18日だったからだ。それは彼のルーツを示す数字だった。でも、彼がレッドソックの背番号「18」だったことを、もうほとんど誰も覚えていない。みな、現在の「18」マツザカに躍起だった。

 4月23日、フェンウェイ・パーク。ホットドックやポップコーンの匂いとも違う、古めかしい野球場に漂う独特の匂いを、大家は懐かしんだ。試合前のウォームアップのとき、ウェイクフィールドが大家に近づいてきた。ボストンにいたころ、クラブハウスで髪を切ってもらったことがあった。

「今日は風が強いから、ナックルボールがよく動くんだろうなあ」と、大家が言う。

 ウェイクフィールドが、ニヤッと笑った。午後7時5分、プレーボール。

 この日、ブルージェイズのキャッチャーマスクをかぶったのは、グレッグ・ザーン。特に左打者のデヴィッド・オルティスに対しては、春先に言っていた“フロントドア”“バックドア”を巧みに使ってくるのだろう。

 初回表、ブルージェイズの1点先取で試合は動き出した。大家は、レッドソックスの上位打線をほぼ完璧に抑えた。一番フリオ・ルーゴ、二番ケビン・ユーキリス、三番オルティス、四番マニー・ラミレスの上位4人との2試合における、各3巡の対決で、同じ仕留め方をしたのはオルティスを2度セカンドゴロに打ち取ったときだけで、それ以外、4人は毎打席、大家とザーンのバッテリーに違う打ち取られ方をした。

 4回裏、大家は五番以降に3安打を許し、1対2とリードを許すが、5回裏は再び三者凡退にしのぎ、6回表に味方は、フランク・トーマスの2ランを含む3得点を挙げて逆転。6回裏途中、4対2とブルージェイズが勝ち越す場面でマウンドを降りた。試合はブルージェイズが7対3で勝って、大家はシーズン初勝利を挙げ、メジャーの勝ち星を49勝に延ばした。同時に日米通算50勝目を記録している。

 試合後、暗いフェンウェイ・パークの通路で、大家は大勢の日本人メディアに囲まれ、テレビカメラのライトを浴びた。彼がフェンウェイ・パークでメジャー・デビューしたときよりも何倍も多い記者の数だ。

「2試合連続のレッドソックス戦ということで、ピッチングの組み立ては当然変えてきたのですよね?」と、質問が飛び、大家は答えた。

「考えすぎだと思いますよ」

 突然、吹き荒れた嵐の中で、彼が積み上げてきた歴史や存在価値が人の都合でいじくりまわされようとも、彼は平常心で球と向き合うだけだ。この日の1勝は、彼がフェンウェイ・パークに残した刻印だった。

「僕は、自分をプロだと思っているから」

<次回9月13日公開予定>

文=山森恵子 写真=Getty Images
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