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プロ野球デキゴトロジー/9月9日

史上屈指の個性派左腕、ヤクルト・安田猛の大記録【1973年9月9日】

 

技巧派タイプと言われることもあるが、安田(写真左)は「僕は本格派です」


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月9日だ。

 球史に残る個性派左腕である。

 早大から大昭和製紙を経て1972年ヤクルト入団した安田猛。「ドラフト6位だし、まったく期待されてなかったと思いますよ」と本人は振り返る。

 確かに、快速球があるわけでも、すさまじい変化球があるわけでもない。それでも1年目から50試合に登板し、7勝5敗、2.08で最優秀防御率に輝いた。

 武器は頭脳と強心臓。相手の心理を読み切り、打ち気がなければ、スローボールをど真ん中に投げ込み、カッカさせる。もちろん、それだけではない。独特のリズムと小さいフォームで投げ込むストレートは手元で伸び、スピードガン以上の体感があった。内角をグイグイ突くピッチングも持ち味で、安田自身、「僕は技巧派ではなく、本格派。逃げのピッチングはしていません」ときっぱり言い切る。

 1973年9月9日は安田の2年目。阪神戦(甲子園)で81イニング連続無四球の日本記録を作った日だ。8回まで被安打2の無失点で、それまでの記録を7イニング更新したが、迎えた9回突然崩れ、二死から連続二塁打で2対2の同点にされると、さらに走者二塁で、田淵幸一の場面となった。

「このとき、あの三原(脩)大監督がわざわざマウンドまで来て、『安田、もういいだろ。日本記録も作ったんだから敬遠しろ』と。もうハイと言うしかないですよね」(安田)

 この年、安田は田淵を15打数3安打、本塁打ゼロと抑えていたが、三原監督は「安田は田淵と相性が悪い」と思っていたようで、記録が始まる前、最後の四球も田淵への敬遠だった。

 さらに言えば、三原監督はその前から「四球を出すのも作戦。この記録が続くのは、あまり安田によくない」と語っていた。おそらく「ここだ」と思ったのだろう。

 結果的には田淵を敬遠四球の後、池田純一にサヨナラ3ランを浴び、2対5で敗戦投手となった。

「くやしい! チクショー」

 試合後、目を充血させながら叫んだ安田。もちろん、記録ではなく、敗戦、さらに記録よりこだわっていた防御率だ。これで1.94となり、いまだリーグトップながら2位の阪神・上田二朗との差は0.06となった。

「勝負を急ぎ過ぎた。これからは気持ちを引き締めて1試合1試合投げていきたい」

 最終的には2.02で2年連続最優秀防御率。それでも10勝12敗と負け越したのは、チーム打率.228(リーグ5位)の貧打線もあった。

写真=BBM
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