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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語05】指名順位制導入。移籍後開花の選手も多い【67年】

 

今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

1位の大物は村田兆治


ルーキーイヤーに新人王、さらに日本シリーズMVPにも輝いた巨人・高田


1967年11月9日
第3回ドラフト会議(日生会館)

[1位選手(×は入団せず)]
南海   藤原眞  (慶大)×
西鉄   河原明  (大分商高)
阪神   野上俊夫 (市和歌山商高)
近鉄   三輪田勝利(早大)×
大洋   小谷正勝 (国学院大)
東京   村田兆治 (福山電波工高)
巨人   高田繁  (明大)
サンケイ 中野孝征 (日本楽器)
阪急   渡辺一夫 (東北福祉大付高)
中日   土屋紘  (電電東京)
東映   吉田誠  (大宮高) 
広島   井上弘昭 (電電近畿)

 ふたたび年に1回の開催に戻ったが、制度がやや変わった。希望選手名簿の事前提出を廃止、誰でも指名OKという形になった。さらに指名する順位の投票を行い、競合もなくなった。

 いの一番の権利を得た南海が指名した藤原眞(拒否)以下、6番までが投手となり、初の野手が7番で巨人が指名した高田繁だった。東京六大学No.1野手と言われ、巨人が最初から狙っていた選手だったが、7番目とあって関係者も一度は獲得をあきらめていたという。高田は1年目からレフトのレギュラーを取り、9連覇に貢献。のちサードに転向し、長嶋茂雄監督時代にも活躍した。結果的には、まさに“ラッキー7”だったわけだ。

 1位の大物は、東京の村田兆治。マサカリ投法から剛速球と魔球フォークを投げ込み、名球会入りも果たしている。12球団143人の指名とあって、のちの主力も数多く入団。西鉄の2位・東田正義(三重交通)、3位・竹之内雅史(日本通運)、近鉄2位・永淵洋三(東芝)、3位・小川亨(立大)ら、さらに阪神の代打男として人気者となる川藤幸三(若狭高)も8位で指名されている。

 1つの特徴は、移籍後に大きく羽ばたいた選手が多いことだろう。南海4位の高橋里志(電電北陸)は広島移籍後、広島1位の井上は中日移籍後、巨人2位の山内新一(三菱重工三原)は南海移籍後、東京の10位の吉岡悟(富山商高)は太平洋移籍後に大きく花開いている。

<次回に続く>

写真=BBM
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