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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語06】名球会入り選手7人!空前絶後の大豊作ドラフト【68年】

 

今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

後の名球会入り選手がずらり


翌69年、プロ入り1年目の法大三羽烏。左から田淵、山本、富田


1968年11月12日
第4回ドラフト会議(日生会館)

[1位選手]
東映   大橋穣 (亜大)
広島   山本浩司(法大)
阪神   田淵幸一(法大)
南海   富田勝 (法大)
サンケイ 藤原真 (全鐘紡)
ロッテ  有藤道世(近大)
近鉄   水谷宏 (全鐘紡)
巨人   島野修 (武相高)
大洋   野村収 (駒大)
中日   星野仙一(明大)
阪急   山田久志(富士鉄釜石) 
西鉄   東尾修 (箕島高)

 史上空前の大豊作ドラフトとして語り継がれる。

 東京六大学では法大三羽烏と言われた田淵幸一、山本浩司、富田勝に、明大のエース・星野仙一。東都は強打の遊撃手、亜大の大橋穣、関西では強打のサード、近大の有藤道世。すぐさまプロの第一線で活躍できると期待された超逸材がそろった。

 最大の注目は東京六大学史上最多記録、通算22本塁打をマークした田淵だ。巨人と相思相愛と言われたが、3番目の阪神が指名し、その後、大騒動となった。さらに8番目の巨人は「田淵でなければ、星野」と言われながら高校生投手の島野修を指名。星野は「“島”と“星”が違う」と吐き捨てたという。いずれも最終的には指名球団に入団し、チームを代表する選手となった。

 2位以降にも、のちの主力選手がずらり。名球会入りした選手だけでも投手が山田久志、東尾修、打者が山本浩、有藤道世、阪急2位の加藤秀司(松下電器)、中日3位の大島康徳(中津工高)、阪急7位の福本豊(松下電器)と7人。うち加藤、福本以外は一軍監督の経験者でもある。

 ほかタイトルホルダーも東映4位の投手・金田留広、大洋・野村がいるし、南海の4位・藤原満(近大)、中日の9位・島谷金二(四国電力)、西鉄の8位・大田卓司(津久見高)ら印象的な選手が多い。

 隠れた注目選手はロッテの9位、飯島秀雄(茨城県庁)だ。野球経験はほぼないが、陸上競技100メートルのオリンピック選手でもあった男だ。足のスペシャリストと期待されてだったが、野球の盗塁と100メートルはまったく違う。結局71年限りで引退するまで23盗塁、17盗塁刺。一軍の打席には一度も立っておらず、守備での出場もなかった。

<次回に続く>

写真=BBM
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