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プロ野球デキゴトロジー/9月20日

“怪物”江川が引退を決めた1球【1987年9月20日】

 

サヨナラ弾を浴びた後、マウンドにヒザをつき打球方向を見つめる江川


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月20日だ。

 あの日、怪物と呼ばれた男がグラウンドで涙を流した。今回は、不器用な男の引き際の話だ。

 1987年9月20日、巨人広島市民球場で、熾烈な優勝争いを続けていた広島との3連戦第2戦を迎えていた。

 先発は江川卓。右肩痛で年々球威が落ちていたが、この日は試合前、捕手の山倉和博にニコニコしながら「きょうはストレートを投げても、ちっとも肩が痛くないんだ」と話しかけたとおり、別人のように伸びのある速球で立ち上がりから押した。

 4回を終え巨人が1対0とリード。走者は1人も許してない。5回裏に法大の後輩でもある小早川毅彦にセンター前安打を浴びたが、その後もヒットは許さず、7回二死で再び打席に小早川を迎えた。そして今度はレフトスタンドへの同点ホームランだ。

 それでも江川は崩れない。味方打線も8回に1点を加え、2対1と巨人がリードした9回裏だった。簡単に二死を取った江川だったが、その後、高橋慶彦の一、二塁間の当たりが内野安打となり、再び打席には小早川が入った。

 カウント2−2から山倉和博が出したサインはカーブだったというが、江川はクビを振った。やむを得ないとばかり山倉は外角低めにミットを構えたが、江川の目はそこを見ていなかった。

 投じたのは、インハイへの速球。コースが甘かろうが関係なく、打者がスイングしたバットの上を行く高めのストレートこそ、江川の真骨頂であり、プライドだった。

 しかし、小早川のバットがそれをとらえ、打球は右翼席中段へのサヨナラ本塁打となる。江川は、そのままマウンドに崩れ落ち、驚くべきことに、試合後、記者に囲まれ、号泣した。

 ただ、これがシーズン最終登板ではない。その後3試合に投げ、日本シリーズでも投げた。誰もが、涙の真意をつかみかね、クビをひねったまま忘れようとしていた。

 日本シリーズを終えた11月12日、すべてが明らかになる。

 突然の引退会見。この涙を問われ、「あのとき野球人生が終わった」と語っている。

 右肩痛との闘いも細かく説明した。4年目の82年途中に発症し、85年11勝に終わった際には引退を決意したが、大学時代ヒジ痛に苦しんだとき効果があった中国針を打ち、86年16勝。ただ、87年に入ると段々効き目が薄れ、全力で投げられない状況になった。鍼灸師に相談すると、肩甲骨の裏側のある場所に打てば、しばらくは問題なく投げることができるが、来年は投げられなくなると言われ、迷った挙句に打ったと涙ながらに語った。

 その後、鍼灸関係者から「そこに打ったら来年は投げられないという危険な場所はない」と抗議を受け、謝罪撤回したが、あの1球で引退を決めた、という言葉はウソではないはずだ。

 カーブ、あるいはサインどおりアウトコース低めに投げたら打ち取れたか、あるいは単打ですみ、勝利を手にしていた可能性は高い。しかし、針で手にしたとはいえ、そのとき江川には、少年時代から必死に作り上げてきた至高のストレートがあった。

 勝てると思い、勝負を挑み、散った──。未完の怪物と言われ、肩痛さえなければ、どれだけ速い球を投げ、どれだけ勝てるのか、と言われ続けていた。それは周囲だけでなく、いつしか江川自身にもかけられた魔法のようなものになっていたのかもしれない。そして、あのとき、あの一打で、その魔法がとけてしまったのだ……。

写真=BBM
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