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キセキの魔球

【キセキの魔球13】マイナー・リーガーの僕に、最後のチャンスを!

 

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

どん底からの再スタート


2008年2月、大家はホワイトソックスとマイナー契約を結んだ


 大家友和がメジャー・リーガーでなくなってから8カ月が過ぎた。2007年6月にトロント・ブルージェイズから自由契約となり、メジャー・リーグ通算勝利数は50、通算投球イニング数は999回で途絶えたままだ。

「もしも野球の神様がいるなら、まだまだおまえはダメだなあと言われている気がする」と、彼は言った。

 アウト3つで、1イニング。淡々とアウトを重ねていくスタイルから“イニング・イーター”と呼ばれていたことがある。だが、一旦メジャーのマウンドから引きずり降ろされた者が復帰するとなると、コトはそう簡単ではない。長く暗いトンネルの向こうに見える微かな光を頼りに進むようなものだ。あと1イニング投げるため、あと1勝挙げるために、彼はどん底から再び走り出した。

 メジャー復帰のために大家友和は何をしたのか。

 彼は32歳でもう一度マイナー・リーガーになった。9年前の春、メジャーを目指して渡米した22歳のころのように。だが、あのころと違って、一度も昇格できず、結果的に丸々1シーズン、マイナー・リーガーとして過ごすことになる。

 シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだのは、2008年2月21日。マイナー契約とは、メジャーの支配下選手枠40人に入らず、その年のチーム構想からはみ出した状態でスタートするということだ。飛び抜けた結果を残さない限り、メジャー枠には組み込まれない。なぜなら、その選手を昇格させるために、別の人間を40人枠から外さなければならないからだ。その結果、チームはその選手を失うリスクもある。ホワイトソックスからは、今のところメジャーで使う予定はないと言われていた。チームは若い選手を育てる方針だ。しかしそれだってどう転ぶか分からない。誰かを蹴落とし蹴落とされ、仕事を勝ち取る、そういう世界だ。内心では“つぶれろ!”、みんなそう思っている。

 ホワイトソックスのキャンプ地は、アメリカ南部アリゾナ州ツーソンという砂漠の町だった。キャンプはメジャーとマイナーの二手に分かれる。先行するメジャー・キャンプには、支配下選手40人と、マイナー契約の招待選手11人の合計51人が参加した。ピッチャーは40人枠が22人と、大家を含めた招待選手2人の計24人である。開幕ロースターの投手枠を12人と見積もると、そのうち11人は前年の活躍度や契約内容でおおよそ決まっていた。残り1人の枠をめぐって13人のピッチャーがしのぎを削る。

 監督は、ベネズエラ出身初のMLB監督として知られるオジー・ギーエン。3シーズン前にホワイトソックスに88年ぶりのワールド・シリーズ優勝をもたらしている。

「全部もう(ロースターが)決まっているんじゃ、面白くない。競い合わせなきゃダメなんだ」

逆境こそが最大のチャンス


 ホワイトソックスと契約する年のオフシーズン、大家はアラバマ州で1カ月間、肩の権威のドクターの下でリハビリに取り組んでいた。故障の始まりは、06年のミルウォーキー時代にローテーターカフ(回旋筋腱板)を痛めたことだった。どういう動きから痛めてしまったのかが自分では分からなかった。不意にまたやってしまうかもしれないと思うとなおさら怖い。翌年、トロントで先発を張っていたころは、中4日で本当に肩が戻るのか不安だった。もう二度と思い切り肩を振れないかもしれない、そんな不安がつきまとう。

 アラバマでの治療を終えて日本に帰国し、キャッチボールをした。すると、腕が振れる。たとえそれが一時的であっても肩の不安は薄れたのだ。新たに契約したエージェントには、メジャーであと3年半はプレーしたいんですと伝えた。そうすればメジャー実働10年に届く。自分への褒美に、もう一つ時計を買おうと思った。

 再起を図る大家は自分に問いかけた。

「今までメジャーにしがみつこうとしてなかったか? 本気でチャンスをつかみ取ろうとしていたか? オレはこれをしに(アメリカへ)来たんだろって。初心に戻れたような気がしました。これで良かったんだと思います。今は、すがすがしい気持ちです。去年の今ごろと比べたら、上を向いているか、下を向いているかというぐらい違います」

 そして彼はこう言って、ほくそ笑んだ。

「(メジャーに)復帰して活躍する自分の姿を想像すると、笑けてきます」

“逆境こそが、最大のチャンス”と、かつてのメンタルの先生は教えてくれた。今がどん底ならば、これから先はいいことしか起こらない。

 知り合いの剣道八段の人が言ったそうだ。「自分の心に惑わされるな」と。その言葉が彼には響いた。

「ここに投げたら打たれるかなとかは、心が投げようとする自分を惑わせている。相手の裏をかいてと考えるのではなくて、投げたいならそこに投げろ! そういうことです」

 大家は右指をそらし、球の軌道が右へ曲がる仕草をした。得意とするツーシームである。

「以前にも投げていたんです。2002年はよく曲がっていました。でも、調子が悪くなって、以前のように戻そうとしたら、理論づけていなかったから、つまり感覚だけでしかなかったので戻すことができなかったんです。今はよく曲がるんですよ。ただ、曲がり幅の微調整が効かないときは、ぶつける可能性もありますけど」

 春季キャンプ中、大家は中継ぎとして6試合に登板した。計10イニングを投げて、被安打7、自責点1、防御率0.90と、好成績を収めている。しかしそれでも、メジャー・ロースターには残れなかった。3月19日、振るいに落とされ、マイナー・リーグのキャンプへ降格が宣告された。ギーエン監督が大家の健闘を称える。

「予想以上の出来だった。アウトは取れるし、仕事を勝ち取るために与えられたチャンスはモノにしていたし、よくやったよ」

 そしてキャンプの競争が決着した。24人のピッチャーのうち、開幕メジャー入りが12人、3A行きが大家を含めて9人、2Aが1人、故障者リスト入り1人、そしてもう1人はキャンプ中にクビになった。

常にメジャーで投げるために、と


 ホワイトソックスの3Aシャーロット・ナイツの拠点は、サウス・カロライナ州郊外にあるナイツ・スタジアムという、別名“キャッスル=城”と呼ばれるボールパークだった。両翼は実寸で325フィート=97.5メートルと、インターナショナル・リーグの中でも特に小さく、ホームランがボンボンと入ってしまうピッチャー泣かせの球場だ。右翼の通路にはメリーゴーランドがあり、ナイターが始まる夕暮れどきになると、あたりの新緑がみるみる濃くなり、その中で回転木馬のイルミネーションが浮かび上がるという、ちょっと不思議な野球場だった。

 チームが勝つためにマウンドに上がることは、メジャーもマイナーも変わらない。しかし、マイナーで勝つことだけを考えていたのでは、この生活からは抜け出せない。開幕から3Aの先発として投げてきた大家は、常にメジャーで投げるためにどうするべきかを忘れてはいなかった。

 5月、この時期、彼が磨いていたのがチェンジアップである。4シームとほぼ同じ腕の振りと手首の使い方でありながら、10マイル以上減速させることで、打者のタイミングを外す変化球だ。それまでは実戦であまり使ってこなかった球種だった。

 3Aのピッチング・コーチ、リチャード・ドットソンも新たな持ち球としてチェンジアップやカーブを推していた。ドットソンは現役時代にホワイトソックスで活躍した投手で、生え抜きのコーチである。

「トモは、ストレートとカットボールといった高速系が投球の約75パーセントを占めるピッチャーだ。例えばストレートが88マイルで、カットが84マイルだとすると、その差はたったの4マイルしかない。彼はインサイドとアウトサイドの投げ分けは非常にうまい。我々は、“バック・アンド・フォース(行ったり来たり)”と表現するのだが、つまりピッチングの緩急のことだ。中継ぎだったら必要ないかもしれないが、メジャーの先発を想定すると、チェンジアップやカーブといった緩めの球が持ち球に加われば、きっと武器になる」

 調子が上向き始めた6月、大家は一時的に先発から中継ぎへ移されている。

「すまないが、ブルペンへ行ってくれと、私はトモに言った。もちろん面白くはないだろう。彼のピッチングに何の問題もなかったのだから。理由はビジネス側の都合だ。しかし彼は理解してくれた。プロだよ」

 3Aで誰を優先的に登板させるかは、ホワイトソックスの上層部からの指示による。ピッチング・コーディネイターやマイナー・リーグ部長、そしてGMから、誰々の状態を見たい、誰々を投げさせてくれとドットソンのところに指令が下る。組織は当然、40人枠の支配下選手を優先的に使おうとする。だから3Aのピッチング・コーチであるドットソンには、選手起用やメジャー昇格における権限はないのだ。

「上からのプレッシャー? いや、そうは感じてない。これがベースボールだ。我々にとって、トモは最も安定した先発だ。ストレートとカットボールのコントロールもいい。チェンジアップも身につけて、さらにいい。ガッツがあるし、周りも見える、みんな彼が好きさ。愉快な男だ。経験豊富だから、若い選手に気がついたことを言ってやってくれと頼んである。私だったら(メジャー昇格に)トモを推す。だが、そうもいかない」

 シーズン中、シャーロットには巡回コーチがたびたび視察に来ている。しかし大家は感じていた。

「でも、僕には興味がないのが分かるから」

 4月に1人、5月にまた1人、6月にもさらに1人、若い選手がメジャーに呼ばれて行った。しかし大家に声はかからない。

「何のために投げるのかって、思ったことはありました。でも、そこで投げ出したら終わりだし、それが嫌になったら引退するとかってことになりますから……」

どんな状況でも“希望の球”を投げる


 ホワイトソックスはこの年、選手の入れ替えの動きが極めて鈍かった。理由は、チームが強かったからだ。5月中旬から地区の首位をほぼ独走し、先発陣はエースのマイク・バーリーやハビアー・バスケスら5人がほぼ固定。163試合中153試合をこの5人が先発している。2008年度、ホワイトソックスが起用した投手は19人とリーグ最少。シーズン途中にマイナーから呼び寄せたり、トレードやFAで獲得して新たにロースターに加えた投手の数は、最多のテキサス・レンジャーズの30人より11人も少なかった。成績が低迷していれば、チームは勝つためにどんどん新たな人材を試そうとするだろう。つまりそれだけマイナーで控えている選手にもチャンスが巡ってくるということだ。しかし、勝ち続けているホワイトソックスにその必要はなかった。

 3Aシャーロット・ナイトで投げたピッチャーは26人。シーズン中に一度でもメジャー昇格した選手は5人いる。だが、大家はその中に含まれなかった。

 メジャーは、9月になると出場選手枠を25人以上に拡張することができる。しかし、ドットソンは、9月ロースターに大家が呼ばれる可能性は低いだろうと言った。

「難しいだろうね。金の問題さ。1人余分に昇格させるごとに4万ドルかかる。それでも、(ホワイトソックス以外の)どこかが使ってくれるかもしれない。いろんな可能性が残っている。まだ彼はできる。引退すると宣言したわけじゃない。そして、すべきじゃない」

 夏になると大家の体は一回り大きくなっていた。それは毎年のことだった。シーズン中、黙々とトレーニングを重ねているからだ。それに伴って球威も上がる。ドットソンは驚いていた。

「疲れが出てくる時期になると、スピードは落ちるのがふつう。ところが彼は上げてきた。三振が増えたのはそれが理由だ。トモには自分なりの素晴らしいやり方がある。だが一つ、話したことがあるんだ。ピッチングとは、最後の局面で暴力的なスポーツなんだと。最後の球威が暴力的であるべきだと。投球モーションで初めはゆっくりな動きでも、腕が上がりきったら、そこからは暴力的に振り落とす。コントロール、コントロール、そして最後にバイオレンスなんだ」

 メジャーに呼ばれても、呼ばれなくとも、彼は“希望の球”を投げなければならなかった。きっと誰かが彼を見ている。メジャーにもう一度戻りたければ、そう信じるしかない。

<次回9月27日公開予定>

文=山森恵子 写真=Getty Images
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