10月18日の横浜戦(横浜)で優勝決定。ファンの声援に応える落合監督
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月22日だ。
今季もすでに
ロッテ・
伊東勤監督、
ヤクルト・
真中満監督の退任が発表されているが、いずれもダントツの最下位。失礼ながら発表は時間の問題だった。
対して2011年、この指揮官の退任劇は異例中の異例だった。前年のセの覇者でもある
中日・
落合博満監督である。
9月22日の試合前、突然、落合監督の退任と、次期監督に解説者の
高木守道氏が就くことが急きょ発表された。
退任・新任発表会見に両者の姿はなく、出席した佐藤良平球団代表が「(落合監督が)野球殿堂入りされ、節目の年なので。それと新しい風を入れたい」と交代劇の理由を語った。ただ、高木氏もすでに殿堂入り。70歳(当時)で2度目の就任監督に「新しい風」の言葉に違和感を覚えた記者は多かった。
ただ、実際の理由はどうあれ、この時点で中日は4.5ゲーム差の2位で、この日から首位・ヤクルトとの4連戦が始まる大事な時。選手の動揺が心配されたが、佐藤球団社長は「強いチームの基盤ができている。なんら心配ない」と語った。
確かに、この日はエース・
吉見一起の完投勝利。ただし、動揺がなかった、というよりは理不尽な退任劇に選手たちが発奮した面が強かった。試合後、落合監督は、いつものように淡々と「契約書どおり。そういう世界だ」と語り、退任会見については「一監督の契約問題」と言って開かず、選手たちにも一切の説明はしなかったという。
ここからチームは一つになった。以後、勢いが加速し、ヤクルトを抜き、ついに連覇達成。日本シリーズでは敗れたが、「さすが落合監督」と思わせる“終演”だった。当時、多くの野球ファンはこう思った。
「優勝しての退任か。それもオレ流の落合らしいな」と。
写真=BBM