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プロ野球デキゴトロジー/10月12日

奇跡の逆転優勝に導いたブライアント4連発【1989年10月12日】

 

崖っぷちからの逆襲


3打席連続弾のシーン。手前でマウンドにヒザを着いているのが渡辺久


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月12日だ。

 前年の1988年、あの「10.19」で時間との戦いにも敗れ、つかみかけていた優勝を2厘差で逃した近鉄バファローズ。その途方もない虚しさと悔しさから、翌89年を前に、個性派ぞろいの、いてまえ男たちが「今年こそは優勝!」と一つになった。

 しかし、ケガ人の続出に加え、22試合連続三振もあった四番・ブライアントの不振もあって出足でつまずく。対して破壊力満点の“ブルーサンダー打線”を擁する新生オリックス・ブレーブスが独走態勢を固めていた。

 それでも夏場に入り、近鉄はブライアントの復調もあって猛烈な追い上げを見せ、ついにはオリックス、近鉄、西武の三つ巴の混戦にもつれ込んだ。

 最初に脱落したのが10月5日にオリックスに敗れ、自力優勝が消滅した近鉄と思われた。

 その日、近鉄グループの総帥・佐伯勇が死去の悲報も届く。一時期を除き、創設以来ずっとオーナーの座にあって、弱かった時代に「近鉄グループのお荷物」と批判があっても「ドラ息子だが、かわいいところもある」とかばい続けた人物だ。

 喪章をつけて戦った翌10月6日のオリックス戦(藤井寺)から奇跡が始まる。1対2から9回裏二死に同点に追いつき、10回裏リベラがサヨナラ本塁打。仰木彬監督は「オーナーが見守ってくれたんでしょう」と声を震わせた。

1人で3本塁打


 その後、10月10日までの5連勝で近鉄は自力優勝が復活。この時点で1位・西武、2位・近鉄、3位・オリックスとなったが、近鉄、オリックスとも西武とのゲーム差はわずか1だった。

 翌11日、西武─近鉄戦は雨で試合中止。日程が詰まっていたこともあって、10月12日が対西武のダブルヘッダー(西武)となった。

 まず第1試合、近鉄は、西武の辻発彦に2ランを浴びるなど、3回までに0対4とリードを許す。4回に四番・ブライアントが46号ソロを放つも、5回裏に1点を返され、1対5で迎えた6回表だった。

 この回、西武先発の郭泰源が突然崩れ、無死満塁でブライアントに回る。マウンドに行った森祇晶監督は「歩かせてもいいから。初球は必ずボールで」と指示したが、ブライアントは吸い込まれるように入った高めの甘いスライダーをとらえ、満塁弾。5対5と振り出しに戻った。

 8回から西武・渡辺久信がマウンドに上がったとき、スタンドから少しざわめきが起こった。2日前の近鉄戦で8イニング131球を投げ、2対2からの8回にリベラに決勝本塁打を浴びていたからだ。この年、初めてのリリーフだったが、ブライアントとの相性の良さを見込まれてのスクランブル登板だろう。

 そして打席には再びブライアント。渡辺久がカウント2ストライク1ボールから投じた速球だった。ブライアントが豪快なフルスイングをすると、打球はライトスタンド上段に突き刺さり、3打席連続ホームラン。近鉄ベンチから選手が飛び出し、ブライアントを手荒く祝福し、渡辺久は呆然とした表情でマウンドにヒザを着いた。

 渡辺は試合後、記者たちに「あの高めの球は今まで打たれていないんだ、クソ」と吐き捨てた。森監督からは「なぜフォークを投げなかったんだ」と詰問されたというが、渡辺久は現役引退会見で「後悔しないように一番自信を持っていた球を投げた」と語っている。

ついに悲願達成


 これが決勝点となり、近鉄が6対5で勝利。この日、西武が1戦目に勝てばだが、川崎球場で2位のオリックスがロッテと同じくダブルヘッダーを戦っており、オリックスが1試合に負けか引き分けで2戦目での西武優勝の可能性もあったが、ブライアントのバットがそれを打ち砕いた。

 2試合目、観客は1試合目よりさらに増えた。「10.19」以来、近鉄ファンは関東圏でも急増。「パ・リーグ元年」と言われ、人気面でもセ・リーグを追い上げ始めた時期だ。

 まず近鉄が2点先制も、西武打線が近鉄の先発・阿波野秀幸の立ち上がりを攻め、2対2の同点。そしてブライアントが2打席目でセンター左にホームラン。1打席目は敬遠だったので、4打数連続本塁打となる。勢いに乗った近鉄は15安打、14得点で大勝。ついにマジック2を点灯させた。

 1日にして首位を陥落し、3位となった西武・森監督は「想像もせんことになった。でも、これも野球だ」と語り、仰木監督は「あと2勝は考えない。最後の最後まで。130試合全力で戦うという最初からの目標を実現させるだけ」と表情を引き締めた。

 歓喜の胴上げは10月14日、本拠地・藤井寺でのダイエー戦で実現する。「10.19」だけでも、「10.12」だけでもなく、「10.19」から「10.14」まで。これが、仰木近鉄が球史に残した、渾身のドラマだ。

写真=BBM
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