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プロ野球デキゴトロジー/10月17日

野村ヤクルトの日本シリーズ初戦は杉浦の劇的代打満塁サヨナラ弾!【1992年10月17日】

 

笑顔でサヨナラのホームに向かう杉浦。結局、翌93年もプレーしてから引退した


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月17日だ。

 1992年、野村克也監督率いるヤクルトが78年以来2度目のリーグ優勝を果たして日本シリーズ進出。対するは、黄金時代真っ只中にいた西武だ。下馬評は、もちろん西武絶対有利。ヤクルトの捕手・古田敦也は、もちろん半分冗談なのだろうが、「何とか1勝はしたい」と語った。

 迎えた神宮での第1戦、10月17日に劇的なアーチが生まれた。

 先制したのは西武。2回表に五番・デストラーデ岡林洋一のスライダーを右翼席に運ぶ。これが3年連続日本シリーズ第1戦、第1打席本塁打の快挙でもあった。

 試合はその後、西武の先発・渡辺久信がつかまり、ヤクルトが3対1と2点のリードを奪ったが、西武も7回表にデストラーデが2本目のホームラン、さらに9回表には石毛宏典の犠飛で3対3の同点に追いつき、いきなりの延長戦となった。

 迎えた延長12回裏、ヤクルトは西武の三番手・鹿取義隆を攻め立てる。先頭の七番・秦真司が左中間に二塁打。次の笘篠賢治が歩かされ、ここまで161球の力投を見せていた岡林の打席で野村監督は代打・角富士夫を送った。サインはバントだったが、角は失敗し、三邪飛に。それでも続く飯田哲也がショートへの内野安打で満塁とした。

 満を持して登場したのが、40歳4カ月のベテランの左打者・杉浦享だった。実は91年オフに一度引退を決意していたが、野村監督に説得され、「もう1年だけ」と現役続行。しかし、92年も開幕してすぐに右足のふくらはぎ肉離れで戦線離脱となる。7月に復帰もふたたび腰痛でリタイア、あらためて引退を決意し、練習もほとんどしていなかったというが、それでも野村監督は、勝負強い打撃を評価し、終盤になってチームに呼び寄せた。

 鹿取は右のサイドハンド。西武の森祇晶監督も迷ったようだ。

「あそこは(左の)小田真也を考えないでもなかったが、鹿取の経験を買った」

 緊張で足が震えていたという杉浦は、配球の読みが外れたこともあり、バットも振らず簡単に2ストライクと追い込まれた。

 続く3球目。「とにかく何でも振ろうと思った」という杉浦のバットがとらえた打球は、あっという間にヤクルトファンが埋め尽くしたライトスタンドに飛び込む。代打満塁サヨナラ本塁打だ。

「これでやっと1つ恩返しができました」

 目を真っ赤にして語った杉浦。これが全7戦、うち4試合が延長となる西武─ヤクルトの死闘の第1章となった。

写真=BBM
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