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石田雄太の閃球眼

【石田雄太の閃球眼】お母さん、ありがとう

 

1992年のドラフト会議でダイエーに5位で指名され、その後に行われた入団会見の様子。左端が渡辺正和


 野球選手の父、といえば真っ先に思い浮かぶのは星一徹だ。ご存じ、野球マンガ『巨人の星』の主人公、星飛雄馬の父である。飛雄馬がまだ幼いとき、星の群れの中のもっとも明るい星を指さして、「ひときわ輝くでっかい明星となれ」と語りかける。叶えられなかった己の夢を息子に託し、厳しく飛雄馬を育てる一徹の姿はあまりにインパクトが強過ぎて、良きにつけ悪しきにつけ“野球選手の父”を象徴する存在となってきた。

 その一方で“野球選手の母”にはどんなイメージがあるだろう。野球マンガで母が目立ったシーンを考えてみたら、『侍ジャイアンツ』に登場する番場蛮の母、番場キクが思い浮かんだ。女手一つで蛮と妹を育てた母は、無理がたたって体を壊してしまう。漁師でもあるキクは、息子に分かりやすい言葉を投げ掛けるタイプではないが、ここぞというところで蛮を勇気づける一言を発する。気丈で、懐の深い、芯の強い母だった。

 もう一つ、野球選手の母で思い出すのが、この番組だ。2010年からTBS系列で放送されている『お母さんありがとう』のシリーズは、ドラフト会議の当日に放送される、“野球選手の母”に焦点を当てた番組である。

 この番組の力を思い知らされるのは、放送直後だけでない。たとえば今年のクライマックス・シリーズを見ていても、しばしばあの番組を思い出した。ライオンズの外崎修汰は、富士大を卒業するとき、実家のりんご農園を継ぐか、プロ野球選手になるかという人生の選択を迫られていた。青森で代々、営まれてきたりんご農園を継いでほしいと願う父、祖母と、修汰にはプロ野球選手になってほしいと息子の夢を応援する母――そんな家族の複雑な想いを番組は丹念に描いていた。去年、ショートのポジションをつかみかけながら、源田壮亮の入団で外野手としてのスタートとなった外崎は、4月中旬に先発のチャンスをもらうと、以降、サードやレフト、ライトでしばしばスタメンに名を連ねるようになった。結果、135試合に出場し、113安打、10ホームラン、23個の盗塁を決め、ライオンズには欠かせない存在となった。外崎のプレーを見るたびに、息子の背中を押し続けた母の想い、最後はプロ入りに賛成した父、祖母の姿が重なってくる。

 ファーストステージでタイガースを破った瞬間、ベイスターズのマウンドにいた守護神・山崎康晃もそうだ。彼のピッチングを見るたびに、夫と離婚して以来、異国の地で苦労しながら康晃を育ててきたフィリピン人の母の姿が思い起こされる。ファイナルステージの初戦でベイスターズを相手に完璧なピッチングを披露したカープの薮田和樹も、母の壮絶な人生を背負っていたことをこの番組で知らされた一人だ。和樹が1歳のときに離婚して以来、苦しい家計の中で借金がかさみ、病に侵され、それでも和樹の野球を応援してきた母。薮田が活躍するたびに、きっとあのお母さんが喜んでいるのだろうと、勝手に想像している。

 今から25年前、1992年の秋、あるドラフト候補生を取材したことがあった。東京ガスの左腕・渡辺正和(元ダイエー、現福岡大監督)である。佐賀西高時代、甲子園への出場経験はなく、筑波大から東京ガスへ進んだ渡辺はプロから注目される存在になったのだが、母がプロ入りには強く反対していた。野球を辞めても社員として働ける一流企業を辞めてまでなぜプロ野球選手になるのか……幼い頃、父を病気で失った正和は、女手一つで自分を育ててくれた母の想いと向き合うため、佐賀の実家へ戻る。その家族会議に同席させてもらった。そのときに渡辺がインタビューで口にした、忘れられない言葉がある。

「僕を今の僕にしてくれたのはお母さんだから、僕の気持ちもきっと分かってくれると思います」

 子どもは、親の想いを粘土のように体にペタペタと貼りつけられながら育っていく。野球少年は父に買ってもらったグラブに感謝を向けがちだが、練習の日にお弁当を作ってくれたり、ユニフォームのほつれを直してくれたり、泥だらけの靴を洗ってくれていることにはあまり感謝を示せない。しかし、今日も当たり前の一日が始まるのは、母のおかげなのだ。ここ数年、ドラフトの日にはそんなことを思い出す。普段は口に出さない一言を、この日くらいは口にしてみてもいいのではないか。

 お母さん、ありがとう、と――。

文=石田雄太 写真=BBM
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