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日本シリーズ回顧録

【日本S回顧06】山田久志、王貞治に痛恨の被弾【1971年】

 

今年で68回目を数える日本シリーズだが、印象的な激闘は多々ある。ここでは過去の名勝負、名シーンを取り上げていこう。

「勝負させてください」と直訴


9回二死から山田の直球をとらえ、サヨナラ3ランを放った王


 それは、勝者と敗者のコントラストを非情なまでに浮き彫りにした名場面だった。

 打った王貞治は「あの一戦で得た教訓は『勝負は下駄を履くまで分からない』ということ。野球の神様とは不思議なもので、その教訓を思い出させるべく、ときどきああいうことを起こす。それがたまたま、あのゲームだったんじゃないかな」と語り、打たれた山田久志は「僕の原点が、あの試合にあることは間違いない」と振り返る。

 1971年、6連覇中の巨人に阪急が挑んだ日本シリーズ。1勝1敗で迎えた第3戦。阪急の先発・山田は絶妙の投球を見せていた。8回終了まで許した安打は2回の末次民夫(のち利光)の三塁打と8回の上田武司の内野安打の2本のみで、それ以外は四球も失策もない完璧な投球内容で、2回に味方が奪った1点を守り続けていた。

「打たれる気がしなかった」と山田。当時はプロ入り3年目。後に決め球となるシンカーもまだ投げておらずストレートとカーブのみで投球を組み立てていたが、力で巨人打線を抑え込んでいた。

 その投球の前に三振、三振、遊ゴロに倒れていた巨人の四番・王貞治も「まったく逆転できる雰囲気はなかった」という。だが、9回裏に試合は動く。

 巨人のトップバッター、投手の関本四十四に代わる代打の萩原康弘は三振に斬って取られたが、続く一番・柴田勲が粘りに粘って四球で出塁する。この試合唯一の四球を、山田は大いに悔いる。

「あれが大きかった。若さゆえの経験不足と言うのでしょうか」

 続く高田繁の代打・柳田敏郎(のち真宏)は右飛に倒れ二死。三番・長嶋茂雄はカウント1―1からの3球目、外角のカーブに泳ぎ、打球は遊撃手の右へ。阪急ベンチの西本幸雄監督は試合終了を予感し、一瞬、腰を上げかけたが、ボテボテの打球はかろうじて中前へ。遊撃手の坂本敏三が三塁側に寄っていたことで、あと一歩及ばなかったのだ。

野球人生を変えた運命の一球


完封まであと一人と迫りながらの逆転被弾。山田は西本監督(右)にうながされてマウンドを降りた


 そして、打席には四番・王。満塁策も考えられる場面だったが、タイムを取りマウンドへ歩いてきた西本監督に、山田は「勝負させてください」と直訴する。

「それくらい鼻っ柱の強い小僧だったんです(笑)。チームの勝利とか、シリーズの持つ意味とかは考えていませんでした」

 一方、3打席凡退に抑えられていた王だが、この打席に限ってはわずかな光明を見いだしていた。

「ワインドアップのときは一度、大きく伸び上がってから下半身を沈め、一度下げた腕をもう一度後ろへ大きく引いてから投げてくる。あれにまったくタイミングが合わなかったけど、セットポジションになってこちらにもチャンスが生まれた」

 初球は外角へのボール球。2球目は内角低めへのストレート。運命の3球目。捕手・岡村浩二のサインは2球目と同じヒザ元へのストレート。山田が最も自信を持っていたボールだったが、投じたボールは真ん中外寄りの逆球だった。

「好球必打」だけを念じていた王のバットがそれをとらえると、打球はライトスタンドへ一直線。起死回生のサヨナラ3ランに、王は珍しくバンザイをしてダイヤモンドを一周。一方、山田は全身の力が抜けたかのようにマウンドにへたり込み、西本監督に抱き起こされるまで動けなかった。

 ここから巨人は連勝でV7を達成。まさにシリーズの流れを変えた一撃だった。それとともに、「あれからピッチングというものを考えるようになった」という山田にとっても大きな転機となった。球界を代表する大投手を生んだ出来事であるがゆえに、その名勝負は今も伝説として語り継がれているのだ。

写真=BBM
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