2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を継続中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 人気連載『カケヤ禍』『花形選手暮らしの手帖』
今回は『1958年5月28日号』。創刊第7号で定価30円。カラーページはない。
表紙は阪神の名遊撃手・吉田義男で、巻頭の特集タイトルは『タイガースは前進する〜
巨人をおびやかす猛虎の闘志』だ。
開幕から日系アメリカ人で、カイザーこと
田中義雄監督が指揮する阪神が好調を維持していた(当時は大阪タイガースだが、阪神の略称はファンにも定着していたので、以下の回でもすべて阪神と表記する)。この記事の中で阪神フィーバーに沸く、関西のスポーツ紙についても触れているが、当時は阪神が勝つと翌朝の新聞の早版が駅売りされていたようで、ビッグゲームの際には夜の8時から11時ごろまで第五版、第六版と重ね、ついには翌朝売る新聞がなくなったとある。やや信じがたい気もするが、大先輩の記事だ。間違っているはずはなかろう。
特別レポートでは『勝利投手と敗戦投手』と題し、
義原武敏(巨人)、
鈴木隆(大洋)、
牧野伸(東映)、
大津守(近鉄)、
梶本隆夫(阪急)、
村田元一(国鉄)ら先発陣の二番手、三番手の投手が登場。センターグラビアでは巨人のエース、
藤田元司、国鉄のエース、
金田正一を紹介。金田は開幕から1カ月たたない4月30日に、早くも11勝目を挙げたというから驚く。国鉄もこの金田に引っ張られ、2位と好調だ。
今回は連載を2つ紹介しよう。まずは人気連載『カケヤ禍』だ。筆者の大井広介は辛口で知られた野球評論家。終戦直後のカケヤたちと球界関係者の“攻防”を書いたものだ。当時、特に関西球団は野球賭博が横行し、選手を取り込み、八百長を指示する輩もいたらしい。この回では、46年当時、近畿日本(南海)の兼任監督だった
鶴岡一人(58年は山本一人)が、カケヤとつるんでおかしなプレーをする選手がいないかを監視するため、本来のサードではなく、一塁に回った話が載っている。
もう1つは、
大和球士の『花形選手暮らしの手帖』。西鉄の
川崎徳次ヘッドコーチが登場。家族構成は静江夫人と一女(10歳)一男(5歳)だが、月収の使い道を聞かれ、四分の一は貯金、四分の一は税金と化し、「その残りを五分の三の比率で、五を家に入れ、三を自分の交際費にしています」と答えている。数字の根拠は分からぬが、なかなか細かい。
<次回に続く>
写真=BBM