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日本シリーズ回顧録

【日本S回顧08】権藤ベイスターズ38年ぶりの日本一成る!【1998年】

 

今年で68回目を数える日本シリーズだが、印象的な激闘は多々ある。ここでは過去の名勝負、名シーンを取り上げていこう。

指揮官の目先の勝ち負けにこだわらない姿勢


日本シリーズの大舞台で存分に力を発揮して日本一に輝いた横浜ナイン。権藤監督は10度宙に舞った


 やはり大魔神だ。思わぬ三塁打も野選がらみの失点も関係ない。最後の打者、金村義明を併殺に打ち取った。1998年10月26日。横浜が西武に王手をかけて地元・横浜に戻った日本シリーズ第6戦は緊迫の投手戦。8回に駒田徳広の二塁打で先制、最後は佐々木主浩が締めた横浜が2対1で逃げ切り、4勝2敗で38年ぶりの日本一決定だ。権藤博監督が今度はこぶしを握り締めて10回宙に舞う。「素晴らしい応援と選手の力のおかげです」と語る間に選手全員がライトスタンド前へ。そしてファンと一緒に万歳を繰り返した。

 勝ち方も負け方も、派手過ぎた。しかしある意味では、この大味なゲームもこの年の“横浜らしさ”の一つだったのかもしれない。

「投手陣でしのいでいけば、負けない自信はある」

 第1、2戦を9対4、4対0と快勝したものの、敵地・西武ドームに乗り込んで痛恨の連敗を喫し、2勝2敗のタイに持ち込まれた第4戦終了後、権藤監督は妙に落ち着いた口調でこう語った。

 左右の両エースが粘投すれば自然とマシンガンは炸裂する。ペナントレース同様、きっちりと勝ちパターンどおりに戦った横浜が、最高の形で連勝スタートを切ったか……に見えた。しかし、勝負の世界は何が起こるか分からない。

「シーズンどおり、横浜らしい試合をするだけ」

 こう言い続けた指揮官にとって、大きな誤算といえば、第3戦の思いもかけない投手陣の大乱調だった。1試合11四死球というシリーズワースト記録を作ってしまった投手陣。先発・三浦大輔の制球は定まらず、2安打6四球の内容で、たった2回1/3でKO、リリーフした福盛和男戸叶尚もそれぞれ2四球、3四球を与え、完全に自滅していった。公式戦での四死球が12球団最少という制球力が自慢の横浜投手陣にとって、これは大きな誤算だった。まさに「横浜らしくない」試合だったのである。

 しかし、振り出しに戻ってしまった翌日第4戦の敗戦には、「仕方がない」と権藤監督は実にさばさばとした表情を見せた。その敗戦には“らしさ”の兆しが見えていたからだ。第1戦に白星を挙げた先発・野村弘樹が2回と6回にそれぞれ中嶋聡マルティネスに2ランを浴び、その4点で勝負は決まった。投手陣を含めたディフェンス野球を信条とする権藤監督が、屈辱的な敗戦を喫した第3戦の翌日、宿舎を出発する投手陣を集めて飛ばしたのは「逃げるな、向かっていけ!」という短いゲキのみ。その言葉どおりに、真っ向勝負で挑んだ2アーチだからこそ、「堂々としたもんじゃないですか」と、逆に敗戦投手をフォローもした。

 確かに短期決戦では悠長なことは言っていられない。一つの負けが取り返しのつかないことになる。ただ、指揮官の目先の勝ち負けにこだわらないこの姿勢が、選手に再び勢いと普段どおりの野球を取り戻させたことも確かだった。

最後まで動かずに選手の“らしさ”を引き出した権藤采配


第7戦で決勝打を放った駒田


 シリーズだからといって特別なことはしない。ほとんどの選手にとって初舞台となる日本シリーズで、いかに「横浜らしさ」を発揮させることができるか。大まかにいえば、この一点に権藤采配は集約されていた。裏を返せば、「“らしさ”がすべて出たときの横浜は無敵ですよ」という選手の力への絶対的な自信と信頼感の表れであった。だからこそ、横浜には、シリーズ用の奇襲作戦はそれほど必要なかったのだ。

 だが、勝負に誤算はつきもの。問題はそれをいかに軌道修正しているか、である。いくらマシンガン打線と言えども、いつでもどこからでも、弾丸が連打されるわけではない。サイドスローや速球派の投手を苦手とする弱点もある。どんな打線でもエース級のいい投手が出てくれば簡単には攻略できない。一番・石井琢朗、三番・鈴木尚典がコンスタントな活躍を見せた以外は、本領を発揮できずにくすぶっていた選手もいた。

 ペナントレースでは勝負強い打撃でハイレベルな打点王争いを繰り広げていたクリーンアップのローズ、駒田徳広。そのバットからなかなか本来の快音が聞かれなかった。一、二、三番の出塁率を考えれば、中軸の不振は間違いなく大きなブレーキだった。しかし、ここでも権藤監督は動かなかった。シーズン中からほとんど不動のオーダーで戦い抜いてきた横浜。“らしさ”を追求するには、信じて待つしかなかったのだ。短期決戦で“動かない”というのは勇気がいることに違いないが……。

 唯一打順に変化があったのは、DHで出場し2試合無安打に終わった佐伯貴弘を、本来のライトスタメンで出場させたこと。しかし、これも普段どおりのスタイルに戻したに過ぎない。慣れないDHで調整できない分、守備の間、ベンチ裏の階段を上り下りしながら、体をほぐす佐伯の姿を見かねてのことだった。

 この我慢のさい配にこたえ、これまでくすぶっていた男たちが、目を覚ました。それが一気に爆発したのが第5戦だった。20安打のシリーズ最多安打の新記録を生んで17対5という怒とうの快勝劇だ。

 これまでチャンスにことごとく凡退をくりかえしてきた駒田が、生まれ変わった。満塁走者一掃の三塁打を含む4安打5打点の大活躍。第4戦、9回満塁のチャンスに空振り三振を喫した佐伯も、3二塁打、1三塁打の乱れ打ちで、前日に味わった眠れないほどの悔しさを晴らした。

“もののけ”だろうと、“マシンガン”だろうと、シーズンからこれだけ続けば、もう奇跡ではない。これが選手個々の持っている力なのだ。

 そして、このマシンガン打線は投手陣の粘りがあって初めて機能する。その投打の“らしさ”をどこまで普段どおりに引き出せるのか。その力を後押しするのが、権藤采配という“スパイス”だった。

 幾多の短期決戦を経験した評論家や監督たちが、「日本シリーズをなめている」とこぞって厳しく批評した権藤采配。しかし、権藤監督はシーズンどおりの野球をするという信念だけを貫いて戦った。

 その信念を曲げさせなかったのは、データやID野球などでは図ることのできない今年の横浜の強さを、誰よりも思い知らされていたのが、ほかならぬ権藤監督だったからだ。

写真=BBM
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