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プロ野球デキゴトロジー/11月5日

巨人・江川卓を打ち崩し西武がサヨナラ勝ち【1983年11月5日】

 

延長10回、サヨナラ打を放ったのは伏兵・金森だった


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月5日だ。

 それは「球界の盟主を懸けた決戦」とも言われた。1983年の日本シリーズ。セは当時、いま以上に絶対的な存在感があった「球界の盟主」巨人、そしてパは79年の埼玉移転後、西武グループの豊富な資金力で強化が進み、82年に続き、連覇でシリーズに進んできた「球界の新盟主候補」の西武ライオンズだった(82年は中日を制し日本一)。

 指揮官は巨人が藤田元司、西武が広岡達朗。2人は、同時期に巨人のユニフォームを着た僚友でもある。

 全7戦、うち3戦がサヨナラ決着となった史上まれに見る大激闘シリーズだが、そのハイライトとも言えるゲームが11月5日、西武球場での第6戦だ。

 第5戦にサヨナラ勝ちし、3勝2敗と王手をかけた巨人は、1対2とリードを許しながら9回表二死一、二塁で中畑清が起死回生の逆転三塁打。三塁ベース上で中畑が高々と両手を上げたとき、巨人の日本一は確実かと思われた。

 3対2として藤田監督は、その裏、2日前の第5戦に140球の完投勝ちした西本聖を送った。疲れはあったはずが、西本は第2戦でも完封勝利と絶好調。「1イニングなら」という藤田監督の賭けが間違っていたとは言えまい。

 だが西本は一死からまさかの4連打を浴び、同点とされる。さらに続く延長10回裏に送ったのが江川卓だ。しかし江川はピリっとせず、二死一、二塁から代打の金森栄治にサヨナラ二塁打を許し、巨人敗戦。翌日の第7戦も巨人は2対3と敗れ、西武が2年連続日本一となっている。

 小社刊『巨人80年史』に江川、西本がこの試合を振り返った個所がある。抜粋しよう。

江川 第6戦は、そのシリーズ初めて抑えで待機していたんですよ。右足を肉離れしていたんですが、足がどうなってもいいという気持ちでブルペンで投げていた。プロに入って初めてそういう気持ちになったかもしれません。ところが1点リードで迎えた9回、マウンドに行ったのは西本でした。

西本 僕は第7戦の先発を言われていたから試合中はベンチには入っていたけど、運動靴を履いて座っていた。終盤にチームが逆転したら、コーチから突然ブルペンに行けと言われた。まさか自分が行くとは思っていなかった。

江川 ニシに負けたと思った瞬間だった。結局試合は同点となり延長10回からマウンドに上がったんですが、申し訳ないですけど、そのときは気持ちの部分が少し切れていましたね。
 
「たられば」になるが、2人の話を聞くと、9回に江川なら抑えていたかもしれない。敗れても西本を温存すれば、第7戦には勝てたかもしれないと思ってしまう。

 名将・藤田監督の心中は分からない。ただ、少なくとも西本起用がゲーム前のプランにはなかったことは確かだと思う。魔がさす、という表現は失礼かもしれないが、藤田監督の中に「これなら勝てるのでは」という確信が思い浮かび、それが頭から離れなくなったのではないか。逆に広岡監督は第6戦を前に、「あした巨人が西本を使ったらわれわれの勝ちだ。向こうが焦っている証拠」と選手に言っていたという。

 名勝負には、あとあとまで、われわれが想像をふくらませ、ああだこうだと楽しみ尽くすことを許してくれる魅力がある。

写真=BBM
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