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プロ野球デキゴトロジー/11月28日

落合博満、巨人への決別【1996年11月28日】

 

会見の落合(右)、長嶋監督が視線を合わせることはなかった


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月28日だ。1996年のこの日、三冠王3回の天才打者・落合博満巨人に別れを告げた。

 最初の舞台は、都内の読売新聞本社だった。渡辺恒雄社長が落合夫妻同席の会見を開き、「落合君と話し合ったうえ、感情的に、なんのわだかまりもない。ただボタンの掛け違いがあって自由契約選手になりました」と語り、落合が小さくうなずいた。

 3年前の1993年オフ、FA選手として中日から巨人へ移籍。「長嶋(茂雄)監督を胴上げするために来た」の公言どおり、3年間で2度のリーグ優勝、1度の日本一の中心選手となった。42歳となり、力の衰えは明らかだったが、その功績の大きさは誰もが認め、長嶋監督も含め、来季の戦力として期待を寄せていた。

 それが西武清原和博のFA宣言で一変した。同じ一塁手である清原和博の獲得に動き出したことで、落合の存在が“はみ出してしまう”のだ。

 当初、巨人は必ずしも清原獲得に熱心には見えなかったが、ある時点から急加速。第1回の交渉の際には、獲得の場合、居場所を空けるため、落合を退団させると清原にほのめかしたという。これがなぜか落合の耳に即座に届き、「俺は清原待ちか。失礼な話だ」と怒りを爆発させ、その後、「フロントの誰かのクビが飛ぶぞ」とフロント批判もした。これに対し、今度は渡辺社長が「余計なお世話だ。フロントのクビを決めるのは俺だ」と激怒する“らしい”一幕もあったという。

 24日には清原の巨人入団会見。当初、落合が「長嶋監督の言い訳は聞きたくない。あの人はさんさんと輝いている人だから」と拒否していた長嶋監督との話し合いが27日に極秘にもたれ、「残留」「退団」の2つの報道が飛びかう中で迎えたのが、28日だった。

 都内のホテルに移り、今度は長嶋監督同席の会見。

「監督は小さいころからのあこがれだった。自分が野球を始めたころ、監督は光り輝いていた。(来季は)どうしても清原との競争になる。(自分が)ベンチに座る機会も多くなるだろう。その監督の苦労する顔、私と清原君の問題でこれ以上、悩む顔は見たくない。身を引こうと思ったんです」

 目にうっすら涙を浮かべながら語る落合。ただ、「清原君にはまだ負ける気がしない。だからよそに行ってやらせていただきます」と感傷だけではなく、プライドも垣間見せた。

 長嶋監督は落合との話し合いの内容について「昨晩(27日)3時間以上話し合った。そのとき“清原君は後輩として歓迎するが、自分もあと3年間はやり遂げたい。45歳まで四番打者としてプレーしたい”と言われました。ただ1つのポジションを2人で守るわけにはいかないし、ベンチで控えに回る可能性がある、と言いました」と説明。会見中、落合と長嶋監督は一度も視線を合わせることがなかった。

写真=BBM
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