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石田雄太の閃球眼

【石田雄太の閃球眼】野球で夢を叶える形 -久野誠さん-

 

1988年、星野仙一監督率いる中日ドラゴンズがリーグ優勝。この試合の実況を担当した久野誠アナウンサーの夢が叶った瞬間だ


 少年野球のグラウンドでは「野球をやる子どもはプロ野球選手になりたいはずだ」という価値観がいまだに根強い。だからそれをモチベーションにさせて長時間練習をさせようという指導者と、いろんなことに興味がある子どもとの間にギャップが生じ、子どもの野球離れが加速している。これは、指導者の多くがプロ野球選手を目指して野球を一生懸命やってきた元野球部だからこそ起こるズレなのだと思う。しかし、そもそも野球好きの子どもたちが抱く夢は、プロ野球選手ばかりではない。

 あれは、1982年のことだ。藤田元司監督率いる読売ジャイアンツと、近藤貞雄監督が指揮を執る中日ドラゴンズが激しい優勝争いを繰り広げ、名古屋は異様なまでに盛り上がっていた。そんな時代、一人のスポーツアナウンサーが地元の男子高校生の間で人気を博した。名前を、久野誠、という。

 この名前を聞いてピンとくる野球好きは少なくないはずだ。言うまでもなく、CBCの看板スポーツアナウンサーとして長年、ドラゴンズとともに歩んできた、あの久野誠さんである。その久野アナがまだ駆け出しのころ、ローカルの人気バラエティ『ぱろぱろエブリデイ』(正式なタイトルは“ろ”にも半濁点、苦笑)という、夕方の帯番組の司会を担当していた。

 久野アナは、番組の中の『流離(さすらい)のドッチャー』というコーナーの実況で一躍、注目を集めた。これは小学生などのドッジボールの試合を中継するという斬新な企画で、どちらかのチームが残り一人になったとき、実況の久野アナが「出てこい出てこい、出てこい、ドッチャー」と叫ぶ。すると、どこからともなく“ドッチャー”と呼ばれるドッジボールのうまい謎の少年が現れ、劣勢のチームの窮地を救う(救えないこともある)のである。戦い終えたドッチャーに久野アナが「あなたのお名前は……」とたずねると、その少年が「流離のドッチャーです」と答えて、どこかへ走り去るエンディングが定番。この実況のおかげもあって、久野アナは一躍、名古屋の人気者となった。

 その久野アナには夢があった。

 番組の中で彼がしばしばその夢を語っていたものだから、名古屋の男子高校生もいつしか久野アナとその夢を共有していた。それは「ドラゴンズ優勝の瞬間を実況したい」という夢――じつは『ぱろぱろエブリデイ』の中で、久野アナが架空の実況をしたことがあった。誰もいないナゴヤ球場の、グラウンドレベルの放送席に一人陣取って、ドラゴンズ優勝の瞬間をとうとうと語るのである。言葉をつむぐうちに涙ぐんでしまう久野アナ。そんな姿を見て、名古屋の男子高校生もつい、ウルウルきてしまう。テレビの中の久野アナに向かってみんなが、「お前も頑張れ、オレも頑張る」とつぶやいたのを思い出す。

 それから6年後の1988年、星野仙一監督がナゴヤ球場で宙を舞った瞬間を実況したのが久野アナだった。もう社会人となっていた名古屋の元高校生たちは、「久野の夢、叶ったなぁ」としみじみ語り合ったものだ。そして、一人として野球部ではなかった、ただの野球好きの元高校生たちは、大人になって、それぞれの形で野球に接していた。高校時代、とりわけ仲の良かった熱狂的なドラゴンズファンは「大人になったら毎日、午後5時に仕事を終わらせて、家に帰って風呂に入り、ラジオでドラゴンズナイターを聴く」夢を、大真面目に語っていた。

 野球で夢を叶える形は、選手として甲子園に出たり、プロ野球選手になることだけではない。アナウンサーとして、ライターとして、野球選手ではない形で、野球の夢を叶えることができる。ファンとしても、応援するチームの胴上げシーンをナマで観たいとか、シーズンチケットを買って全試合観戦を達成したいとか、そういう夢を語る野球好きはいくらでもいる。

 まもなく定年を迎える久野誠さんは今年の9月23日、ドラゴンズ対DeNAベイスターズのラジオ中継を最後に、第一線から退いた。最後の試合はドラゴンズが初回、いきなり8点を失うという、近年の元気がないドラゴンズを象徴するような大敗で、それでも「かつて8点差からの大逆転を実況したことがある」と雰囲気を盛り上げようとした久野アナに、古くからのドラゴンズファンは涙した。かつて、名古屋の高校生に勇気を与え、夢が叶うことを身をもって示したスポーツアナウンサーは、ドラゴンズの選手に匹敵するほどの、でっかい存在だったのである。

文=石田雄太 写真=BBM
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