2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 巨人を自由契約となった村田修一を彷彿とさせる話も
今回は『1959年1月14日新年増大号』。創刊第40号で、本誌初の特別定価40円だ。いつもの30円より10円高い理由は何かと見ていくと、センターグラビアの最初と最終ページもカラーになっていた(通常は真ん中の2ページだけ)。カラーで扱われているのは、和服の西鉄・
豊田泰光夫妻、ゴルフ中の西鉄・
稲尾和久、巨人・
藤田元司、さらに、ともに巨人のルーキー左腕(59年入団)として注目されていた
伊藤芳明、
王貞治のユニフォーム姿。この時点での王は投手として期待されていたようだ。
全体にオフ感満載の号で、グラビアは西鉄・
中西太の自主トレ、オフの長嶋、稲尾らの忙しき日々、徳島県池田町の友人宅に静養に訪れた(初出から訂正しています)
阪神・
田宮謙次郎の密着などが掲載されている。58年の首位打者である田宮はA級十年選手の権利で、すでに阪神退団を決めており、大毎、阪急、近鉄らの争奪戦になっていた。
驚いたのは、本文で『田宮近鉄入りの真相』という記事があったこと。ご存じかどうかは分からないが、田宮の移籍先は大毎だから完全な誤報である。ただ、記事が間違いの情報でできているかというとそうでもなく、内容を見ても田宮が「近鉄入り」と明言したことはなかった。身内をかばうわけではないが、すべて予測でここまで書き貫く強引さもすごい。
本文巻頭特集は『孤立のチーム巨人軍〜伝統と人気の重圧に悩む選手たち』。ただ、さほど深刻な記事ではなく、まずは巨人がいかに人気があるかの世論調査から始まり、人気球団ゆえの重圧に悩む選手たちの話、新人・王の話などが載っていた。
巨人から戦力外となった
村田修一を彷彿とさせる話もあった。『買い手のつかないジャジャ馬』のタイトルで、大洋を自由契約となったベテラン・
青田昇の話である。
以前も書いたように青田は西鉄の
三原脩が大洋監督に“就任するはず”の流れの中で、世代交代で戦力外になった。ただ、球史に残る天才、かつ人気者。力は落ちていたが、通算2000安打、300本塁打など節目の時期も見えていた。本人も何とか現役を続行したいし、“買い手”がなかったわけではないようだが、なかなか決まらないという話だった。
青田はチームの若返りについて以下のように意見を言っている。
ときの流れというものはつくづく感じる。しかし、すべてが若返りでチームがまかなえるものであろうか。少なくとも一チームに一、二名の年長ベテランは必要だと思う。ゲームにおける年長ベテランは、やはり有形無形のシンになるものがある。これは決して若返りの逆行ではないと思う。
うなずける言葉ではある。『12球団週間報告』では、南海の
山本一人監督が旧姓の鶴岡に戻したとあった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM