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【トレード物語26】「野村再生工場」のルーツ、元巨人の2投手が南海で計27勝【1972年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

トレード時点では巨人がお得に見えた


巨人から南海に移籍した山内は初年度にいきなり20勝を挙げた


[1972年オフ]
巨人・山内新一松原明夫⇔南海・富田勝+金銭

 収支決算でいえば、明らかに南海の大幅プラスだった。

 南海はもともと、トレード巧者だったといえる。1946〜68年まで務めた鶴岡一人監督は「鶴岡CIA」と呼ばれたほど、他球団でくさっている、浮いている選手の情報を素早くつかみ、効果的なトレードを敢行してきたのだ。

 その流れをくみ、69年オフに監督となった野村克也はすぐさま、広島から古葉竹識らを獲得しているし、71年オフには東映から江本孟紀。東映の1年間で0勝だった江本は翌72年、16勝でエース格となっていた。

 そして矢継ぎ早に72年のオフ、巨人から山内新一と松原明夫(のち福士敬章)を獲得する。富田勝プラス金銭という交換だった。

 この時点では、巨人のほうがお買い得に見える。富田といえば田淵幸一山本浩二と並ぶ法政三羽ガラスとしてドラフト1位で入団し、2年目の70年には、全試合に出場して23本塁打、打率はリーグ10位の.287を記録していたのだから。3、4年目と伸び悩んだとはいえ、まだ26歳と若い。衰えを見せてきた長嶋茂雄のサポート役としては、うってつけだった。

 対して――南海が獲得した山内といえば、巨人の5年間で通算14勝。72年は0勝で、しかもヒジを痛めていたため、スピードには疑問符がついていた。松原にいたっては、ドラフト外で入団して2年目に一軍昇格を果たしたものの、4年間で未勝利とあって、南海ファンでさえ首をひねる交換だ。だが、野村監督は「73年からは前後期の2シーズン制が導入される。投手力の強化は大きく、このトレードは大成功」。

移籍選手の活躍で南海は優勝


松原もローテーションに食い込む成長を見せ、1年目から7勝を挙げる


 そして――フタを開けてみれば、野村監督の目論みどおりになるのだ。山内は曲がったヒジで自然とスライドする直球と、持ち前の制球力を武器に開幕から勝ちまくる。前期だけで14勝を稼ぎ、プレーオフ進出に大貢献。終わってみれば20勝8敗の好成績だ。

 一方の松原にしても、チェンジアップとフォークを武器に先発ローテーションの一角に成長し、7勝。チーム年間68勝のうち、4割近くの27勝をこの元巨人2人で稼ぎ出したのだ。

 もっといえば江本の12勝を加えると6割弱。つまり、移籍1、2年目の3投手がいなければ73年、南海ホークスとしての最後の優勝はあり得なかった。対して73年、巨人での富田は、わずか出場44試合にとどまっている。

 山内は、この年を含め南海在籍時代に20勝を2度達成するなど通算143勝、松原もNPBで91勝。のちに球界に定着する「野村再生工場」の創業は、どうやらこのあたりにルーツがありそうだ。

写真=BBM
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