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背番号物語

【背番号物語】「#4」日米ともに初の永久欠番に

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

メジャーでも初の永久欠番に


ヤンキースのルー・ゲーリッグ(写真=Getty Images)


 巨人黒沢俊夫がシーズン中に急死したことで、日本プロ野球で初めて永久欠番となった「4」。実は、世界初の永久欠番も「4」だ。メジャーで本格的に背番号が採用された1929年から、ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)が病魔で引退を余儀なくされるまで背負い続けたのが「4」。

 日本では“死”と音が通じることから忌み数とされ、特に1リーグ時代は欠番が多く、その後も米国から来日した外国人選手に与えられることが多かったが、彼らにしてみれば、忌み数どころかレジェンドの背番号だ。ゲーリッグの志を継承するように、異国の地で活躍した選手が多い。

【12球団主な歴代背番号「4」】
巨人 永沢富士雄、黒沢俊夫★

阪神 駒田桂二、バッキー、川藤幸三、キーオ、熊谷敬宥(2018〜)☆

中日 大沢清杉山悟、マーチン、モッカ藤井淳志

オリックス バルボン、阪本敏三マルカーノ水谷実雄福田周平(2018〜)☆

ソフトバンク ハドリ、ジョーンズ森脇浩司柳田聖人川島慶三

日本ハム 飯島滋弥浜田義雄五十嵐信一奈良原浩飯山裕志

ロッテ 沼沢康一郎柳田利夫、ディアズ、酒井忠晴藤岡裕大(2018〜)☆

DeNA ボイヤー、吉本博横谷彰将北川利之(隼行)、荒波翔

西武 ロイ、基満男片平晋作笘篠誠治高木浩之

広島 小坂佳隆、水谷実雄、正田耕三尾形佳紀小窪哲也

ヤクルト 佐竹一雄、マニエル、笘篠賢治度会博文バレンティン

楽天 高須洋介後藤光尊岡島豪郎
(☆は現役、★は永久欠番)

Vにつながる「4」


近鉄・マニエル


 近年ではシーズン本塁打記録を更新したバレンティンの印象が強いが、同じ長距離砲ではヤクルトと近鉄を初優勝に導いたマニエルも2球団で「4」だ。阪急黄金時代のマルカーノや、中日で長く活躍したマーチン、モッカ、ゴメスの3選手も「4」でVの使者となっている。投手では、外国人選手で初めて沢村賞に選ばれた阪神・バッキーの存在が大きい。

 阪神の投手では低迷期を支えたマット・キーオも「4」だったが、その父であるマーティ・キーオも南海で「4」を着けていた。なお、同時期に別々のチームで「4」を着けたのが笘篠誠治、賢治の兄弟。親子や兄弟がともに「4」という、実に珍しいケースだ。

 1ケタの背番号としては投手が多いのも「4」の特徴で、日本人選手でも日本ハムで武田一浩が、阪神で藪恵壹が着けた。ただ、阪神の「4」は川藤幸三やで、というファンも多いだろう。その同時期に広島と阪急で優勝に貢献した水谷実雄も強打者だった。

 そもそも、高校野球では「4」は二塁手の背番号。プロ野球でも、日本人選手であっても二塁手が「4」を着けることは古い時代から少なくなかった。広島の小坂佳隆は低迷期の名二塁手で、その「4」を黄金時代に継承したのが正田耕三だ。近鉄の大石大二郎(第二朗)も二塁手。4度の盗塁王に輝いて、「4」に新たなイメージを築いたと言えるだろう。

 異色なのは中日の杉山悟。まだ「4」が忌み嫌われていた時代の外野手だが、自ら希望して背番号を「4」に変更した。“死”ではなく“よし”と解釈した杉山は、「4」となって4年目、初の日本一に大きく貢献している。

「4」を着ける2018年の新人選手も目立つ。徐々に忌み数の感覚も薄れ、むしろ今や縁起のいいナンバーとも言える。「4」のルーキーたちは、Vの使者となれるだろうか。

写真=BBM
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