2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 本文巻頭は『特集 笑う不敵なルーキー〜王・板東・北川・張本・村山の20日間』
今回は『1959年3月11日増大号』。創刊48号で特別定価40円だ(特価表記はないが)。表紙は阪神・吉田義男で、センターカラーはなし。
ならば、なぜ特価かと言えば、これが週刊では初の『全選手写真名鑑』だからだ。ただし当時は「月刊ベースボールマガジン」も並行して発行しており、そちらにはかなり詳しい名鑑がついていた。逆に週刊では1球団見開きでややあっさりした作り。「2誌を共存させるため、名鑑は月刊のウリとして残したい」という判断があったのかもしれない。
この号は新人がかなり手厚く扱われている。巻頭グラビアのラストは『虎の子“ザトベック”』の見出しで関大から阪神入りした
村山実投手が登場。いつも苦しそうな顔をして投げることからついた「ザトペック投法」(海外の長距離走者からきている)は大学時代からの異名だったようだ。
本文巻頭は『特集 笑う不敵なルーキー〜王・板東・北川・張本・村山の20日間』。まず
巨人の新人・
王貞治が登場する。甲子園優勝左腕も、いまだ投手か野手かが決定していなかった。ただ、徐々に野手で固まっていたようだ、
水原円裕監督は「いまはいえない。投手陣が手薄と見たら、王も投手の一人としてやってもらわなくてはならない。投手が整備して大丈夫と見たら、もちろん文句なしに打者」と語り、守備位置としては「外野より一塁がいい」と言っている。
さらに王本人も「やはりバッティングを伸ばしたほうがいいと思う。実際のところ僕自身、投手としてはあまり自信がないんです。スピードもあるほうじゃないし、力が入りませんね」と、ほぼ気持ちは打者のようだ。投手と野手掛け持ちの練習が、かなりきついからかもしれない。
背番号30をもらった
中日・
板東英二の評判もいい。重く、制球のよいストレートは外角にいくとナチュラルにスライドし、首脳陣は高卒ながら1年目からの活躍を期待していた。
村山には、その負けん気の強さを感じさせる逸話もあった。関係者にフォームの欠点を指摘された際、普通の新人なら仮に不本意でも「はい」ですますのだろうが、村山は違った。
「まだ、このとおりの寒さで、思うようにヒジを使って投げられないんです。いま大学時代に悪くしたところを、またぶり返したのでは元も子もありませんしね。だからスピードも五分程度ですし、ぼく自身、いま満足できるピッチングはできないんですよ」
そうきっぱり言い切った。
もう1つ。いまさらだが、オフの『賞金10万円大懸賞〜ホームラン・クイズ』は、野球の予想ではなく、クロスワードパズルになっている。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM