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人的補償物語

【人的補償物語05】カープ移籍でGG賞も獲得した名手となった赤松真人

 

大物選手がFA権を行使して移籍してくる代償として、その大物選手の旧所属球団が自分を指名する――。それは、チームが28人のプロテクトリストから自分を外したから。しかし、それで出場機会が飛躍的に増えるケースもある。人的補償で移籍した印象深い選手を取り上げていく。

横浜戦で見せたビッグプレー


阪神から人的補償で広島に移籍した赤松(左)


 赤松真人のプロ野球人生は、人的補償による移籍で一変したといっていいだろう。

 2005年にドラフト6巡目で入団した阪神では、1年目からウエスタン・リーグで首位打者、盗塁王など4冠を獲得。翌06年も打率1位(規定により首位打者は狩野恵輔=阪神)に輝きながら、なかなか一軍での出場機会に恵まれなかった。

 3年目の07年もウエスタンで2度目の盗塁王を獲得したが、一軍では28試合どまり。そのオフ、広島から阪神にFA移籍した新井貴浩の人的補償に指名され、広島に移ることになった。

 平安高、立命大を経てプロ入りした赤松だが、広島はその赤松を高校時代からマークしていた。そんな縁もあってか移籍1年目から積極的に出場機会を与えられ、赤松はプロ4年目にして自己最多の125試合に出場。持ち前の俊足好守のみならず、4月29日の巨人戦(東京ドーム)でプロ初本塁打を先頭打者弾で飾ると、そこから3試合連続アーチと思わぬ長打力も見せつけた。

 翌09年は正中堅手として137試合に出場し、初めて規定打席にも到達。ファン投票で初のオールスター出場も果たした。だが、赤松の名を広く知らしめたのは、翌10年8月4日の横浜戦で見せた、あるプレーだ。

 村田修一がバックスクリーン横に打ち上げたホームラン性の打球を、フェンスの上によじ登って半身になりながら、ドンピシャのタイミングでナイスキャッチ。「2度とできないプレー」と自画自賛したこのスーパーキャッチのインパクトは、あまりにも強かった。米国のメディアでも取り上げられるほどで、赤松は「スパイダーマン」の愛称で一躍脚光を浴び、本拠地マツダスタジアムには、このプレーを再現した等身大の人形まで設置された。

 この年、初のゴールデン・グラブ賞を獲得した後は、出場が100試合を超えることはなくなったものの、貴重なバイプレーヤーとしての活躍を続けた。

 34歳になった16年はスタメンこそなかったが、終盤の代走や守備固めで89試合に出場。14回の企図で12個の盗塁を決めるなど、広島にとって25年ぶりの優勝に貢献した。オフには早期の胃がんが見つかり手術を受けたが、「前向きにしか考えていない」と、復帰を目指している。

写真=BBM
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