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プロ野球デキゴトロジー/12月22日

江川事件新展開! 金子鋭コミッショナーの「強い要望」【1978年12月22日】

 

中央が金子コミッショナー。「球界の混乱を解決する名コミッショナー」から「卑怯者」へ、一夜にして評価が変わった


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月22日だ。

 1978年11月21日、「空白の1日」から始まった“江川事件”。巨人と、巨人入団を希望する江川卓が野球協約の隙間を突くように起こした空前絶後の大事件だが、12月22日は、こう着状態にあった事態が大きく動いた2日間のうちの、2日目だ。

 11月22日、巨人ボイコットで11球団で行われたドラフト会議の後、巨人が「12球団全員出席でないドラフト会議は無効」との提訴。これに対し、まず12月21日、金子鋭コミッショナーが提訴の却下と江川の交渉権がドラフトで1位指名し、交渉権を得た阪神にあると裁定した。

 これに世論は「胸のすく裁定」「明治人の気骨」と金子コミッショナーを大絶賛したが、それが翌日には「卑怯者!」の罵声に変わった……。

 翌22日、12球団の実行委員会で同じ金子コミッショナーから「協約上は昨日の裁定で終止符が打たれたが、果たして実質的な収拾とは考えられません」と語り、さらに「まず巨人は江川をフリーにし、江川はすみやかに阪神との交渉を受ける。阪神は江川を入団させた後、キャンプまでに江川を巨人にトレードさせてほしい。これが昨日の裁定の続きです」と発言。指令かと問われ、「強い要望です」と答えた。

 金子コミッショナーは「批判、異論は甘んじて受ける。私ひとりが悪人になればいい」とも発言。水面下で巨人が球界脱退をちらつかせ、揺さぶりをかけていたことがうかがわれた。

 江川は同日、自宅の庭先で会見を開き、「この指令は素直に喜んでいいのか分からない。自分のためにトレードに出される人に迷惑がかかる。金銭トレードにしてほしい」と珍しく複雑な表情を見せたという。

 それまで世間のいかなるバッシングにも江川が動揺しなかったのは、おそらくルールの隙間をついての個人の戦いと思っていたからではないだろうか。

 それでだれかが犠牲になるのは、江川卓という男の美学に反していたのかもしれない。

写真=BBM
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