背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 好投手も少なくない
“打撃の神様”こと巨人の川上哲治が永久欠番となっている「16」。10番台のナンバーとしては好打者もいるが、多数派は投手だ。川上も最初は投手だった。勝利投手になりながら通算2000安打を達成した初の選手だ。
特に
西武は好投手の系譜。西鉄2年目の1951年からノーヒットノーランも達成した
大津守が着け、西武黄金時代には
松沼雅之から“サンフレッチェ”の一矢となった
潮崎哲也、21世紀には2度の最多勝に輝いた
涌井秀章や
ヤクルトでの若手時代も「16」だった
石井一久を経て、「17」だった
菊池雄星が2014年から「16」となってエースに成長した。涌井は「18」時代を経て、移籍した
ロッテで「16」に戻っている。
一方、
オリックスの系譜では、阪急黄金時代の
足立光宏からクローザーの
平野佳寿へ。涌井と平野は17年オフ、ともにメジャーを目指す「16」だ。
【12球団主な歴代背番号「16」】
巨人 川上哲治、
水野忠彦、川上哲治★
阪神 櫟信平、
三宅秀史(伸和)、
上田二朗(次郎)、
岡田彰布、
安藤優也 中日 大島信雄、
伊藤久敏、
土屋正勝、
森野将彦、
又吉克樹☆
オリックス
山下好一、
原田孝一、足立光宏、
ニール、平野佳寿
ソフトバンク 上田良夫、森下正弘(正夫、整鎮)、
江本孟紀、
篠原貴行、
東浜巨☆
日本ハム 一言多十、布施(金山)勝巳、
木田勇、
金村秀雄(暁、曉)、
有原航平☆
ロッテ
上野重雄、
鈴木隆、
遠山昭治、
久保康友、涌井秀章
DeNA 高野裕良、鈴木隆、
欠端光則、
川村丈夫、
加賀繁☆
西武 大津守、松沼雅之、潮崎哲也、涌井秀章、菊池雄星☆
広島 備前喜夫、
安仁屋宗八、
長冨浩志、
山内泰幸、
今村猛☆
ヤクルト
井上佳明、
西岡清吉、
渡辺孝博、石井一久、
原樹理☆
楽天 山村宏樹、
森雄大☆
(☆は現役、★は永久欠番)
シーズン三振の最多と最少も
ほかにも好投手では、広島の安仁屋宗八や日本ハム1年目に先発投手タイトルを総ナメにした木田勇、近年はソフトバンクに篠原貴行や17年パ・リーグ最多勝の東浜巨がいる。
ただ、川上が投手ではなく打者として球史に名を刻んだように、やはり「16」で際立っているのは打者だろう。川上のいた巨人のライバルである阪神には、長くプロ野球記録だった700試合連続フルイニング出場の三宅秀史(伸和)がいた。
三宅にあこがれて「16」を継承したのが岡田彰布だ。その岡田が五番打者として21年ぶりのリーグ優勝に貢献した85年に大洋で“スーパーカートリオ”の一番打者として活躍した
高木豊も、プロ1年目と日本ハムでの現役最終年が「16」だった。同じく韋駄天タイプでは、南海黄金時代の森下正弘(正夫、整鎮)も盗塁王の経験者だ。
オリックス初の日本一に貢献したニールもいるが、助っ人の「16」で忘れられないのが近鉄のブライアントだろう。88年に来日し、中日の二軍でくすぶっていたところ、デービスの逮捕で緊急移籍、6月下旬の移籍ながら、そこから34本塁打。近鉄は伝説の“10.19”に導かれていく。雪辱を期した翌89年には終盤のダブルヘッダーで2試合にまたがる4打数連続本塁打を放って優勝を呼び込んだ。
ちなみに、シーズン最多三振のプロ野球記録は、93年にブライアントが喫した204三振。規定打席(打数)到達者での最少記録は、わずか6三振。“神様”川上が「ボールが止まって見えた」51年のことだ。
写真=BBM