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プロ野球回顧録

10年前の阪神/怒とうの10連勝で劇的な追い上げも最後に息切れ

 

10年ひと昔と言うが、それだけ年月を重ねればプロ野球のチームも様変わりしてしまう。ここでは年末特別企画として、10年前、2007年のペナントレースを12球団ごとに振り返っていこう。

【2007年度チーム成績】
岡田彰布監督
セ・リーグ3位
144試合 74勝 66敗 4分 勝率.529

【BASIC ORDER】
投手 下柳剛(先発)
投手 久保田智之(中継ぎ)
投手 藤川球児(抑え)
捕手 矢野輝弘
一塁 林威助
二塁 関本健太郎
三塁 シーツ
遊撃 鳥谷敬
左翼 金本知憲
中堅 赤星憲広
右翼 桜井広大

キャンプ序盤から狂った歯車


抑えの藤川も活躍もあり、8月30日から9月9日まで10連勝。9連勝目に一時は12ゲーム差開いた巨人から首位を奪取した


 あっけない幕切れが2007年の阪神を象徴していた。10月14日のナゴヤドーム。先発の上園啓史が初回に李炳圭の3ランなどで5点を失い、クライマックスシリーズの第1ステージ敗退が決定した。

「結局、先発やなあ。いきなり5点は重いよ。ウチの打線は反発力がないからなあ」

 岡田彰布監督は落合竜に連敗を喫したショックよりも自軍の力不足を嘆いていた。12球団最低のチーム打率.255に終わった打線に加え、規定投球回に達した投手のいない先発陣。ジェフ・ウィリアムス、久保田智之、藤川球児のリリーフ陣、“JFK”の奮闘で3位に食い込んだものの、巨人、中日と比べ、力の差は歴然だった。

「やっぱり2月からケガ人が出たことだな。特に福原と安藤の故障が痛かったよ」

 指揮官が振り返るように、キャンプ序盤から歯車が狂っていた。井川慶がヤンキースに移籍し、大黒柱となるはずの福原忍安藤優也は下半身の故障で早々と二軍落ち。両エースの共倒れにより、若手の小嶋達也能見篤史に先発ローテーションを任せざるを得なかった。

 開幕当初こそ勝率5割前後をキープしたものの、4月28日の広島戦(広島)からまさかの9連敗。先発投手が早い回に崩れる負けパターンが続き、自慢のJFKを投入することすらできなかった。

「オレはBクラスやったら、やめる契約になっとるんや」

 岡田監督の必死のゲキが響いたのは、5月28日のロッテ戦(甲子園)後だった。0対10と大敗した直後、ナインをクラブハウスに集め、声を張り上げた。06年オフに2年契約を結んだものの、4位以下なら08年の契約を見直す条項が盛り込まれていた事実を暴露したのだ。将の叫びがようやく効果を表したのか、交流戦が終わると、猛虎の逆襲が始まった。

全力疾走で駆け抜けた反動


久保田は日本記録を更新する90試合に登板した


 後半戦の始まりに合わせるように、打線のテコ入れが行われた。開幕から2割8分前後の打率を残しながら、チャンスで結果を残せなかった今岡誠が二軍落ち。代役として林威助、桜井広大がクリーンアップに座り、チームに勢いが生まれてきた。

 投手陣もルーキー・上園が先発ローテに定着。「チームが形になってきた。先発も6回をメドに投げられるようになった」と、久保康生コーチも逆転Vに向け、確かな手ごたえをつかんでいた。

 劇的な追い上げのハイライトは8月30日広島戦(甲子園)からの10連勝だ。巨人との直接対決も3タテで締め、最大12あったゲーム差をはね返して首位に立った。特に守護神・藤川は炎の10連投ですべての白星に貢献。しかし、2年ぶりのリーグ優勝がちらつき始めた瞬間、全力疾走で駆け抜けた反動が一気に噴き出した……。

「チームが勢いに乗るのが早かった。9月半ばで良かったんよ」

 岡田監督はスパートのタイミングが早かったことを悔しがった。赤星憲広が首痛を患い、金本知憲も左ヒザの半月板を損傷しながらプレーを続けた。林も右肩痛で夏の終わりに離脱。傷だらけのチームは残り20試合で7勝13敗とつまずき、優勝戦線から脱落していった。

「打線が打てなかったし、先発も1年を通して投げたのは下柳だけ。もう一度、やり直さんとアカンわな」(岡田監督)

 久保田がプロ野球新記録となるシーズン90試合登板を達成。藤川も46セーブの日本記録(当時)に並んだ。JFKの存在が際立つからこそ、チームのバランスも含め、立て直しを図ることを誓った。

 オフにはトレードで日本ハムから金村曉を獲得。広島・新井貴浩のFA移籍も決定した。投打の抜本的な改革を施し、08年、猛虎復活に懸けた。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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